破魔射場丸
(ハマイバ丸)

山名由来 ver.2 2008年7月1日 火曜日更新
山名:破魔射場丸・はまいばまる 山域:中央線沿線・大菩薩連嶺
南大菩薩
別名:相沢ノ頭、槻沢頭 標高:△1752.0m
丸について…。
丸の語源を山岳会で初めて研究したのは小暮理太郎(初代の日本山岳会長)だった。
1936年、「マル及ムレについて」(「山の憶ひ出」に収録)を発表した。
それによると、マルは古い朝鮮語の山を指す「モリ」、現代語の峰を指す「マル」が語源ではないかという。

根拠として小暮は、持統天皇や続日本書紀に百済人を甲斐に移すという記述があることを指摘。
600年代後半から大化の改新を挟んで700年代後半にかけ、多くの百済人が桂川流域に集団で移り住んだ。
渡来人が付けた山名であることは、今はほぼ定説となっている。

出典:山梨百名山 山梨日日新聞社 P134
前略、以上述べ来った所を約言すれば、甲斐には百済人が居住していた。
その地は都留郡であった、従ってそのところに朝鮮語系の地名が現存していることは少しも怪しむに足らぬというに帰着する。
これだけの事を知っていただけば、後は簡単に埒があく。

都留郡及びその四近には、丸と名の付く山が相当にある。
誠に之を列挙すると都留郡に

大幡村:本社ヶ丸
真木村:コンドウ丸 鎮西ヶ丸、大谷ヶ丸、大蔵高丸、白ヤノ丸(白谷丸)、赤谷ノ丸、鳥屋ノ丸、丸岳
(三ツ丸:滝子山の別名)

などがあり、相模国に

中川村:畦ヶ丸
青根村:檜洞丸
佐野川村:茅丸

などがある。
山頂が丸いための名であるとしても余りにその数が多いので、誰しも奇異の感を抱かれることと思う。
しかし、これらの地方が百済人や高麗人によりて早く開拓されていたことに注意するならば、あるいはそれらの人々が将来した言葉ではないかとの疑を生ずるであろう。
事実マルは山を意味する韓語にほかならないのである。

中略

金沢博士によれば済州島では今も平地に孤立した山をマルと称しているそうである。
国語のヤマは南洋系のイエマ(森、藪)から来たものであろうという。

出典:小暮理太郎著、山の憶い出(下) P377
破魔射場(ハマイバ)
山村正光氏の説 矢を射た山をハマイバ丸
「車窓の山旅 中央線から見える山」によると、恵能野(エノウノ)、間明野(マミョウノ)、桑西(クワサイ)、寺ドコ、ヒルソフリ、ヒカゲジャクシ、コッポ沢、ジーロザス沢、アモウ沢、デンタエロ、ハマイバが載っている。

(他にコタラ山、オモレも変わっている。
いずれも古代朝鮮語が起源なのだろうか?)

山村正光氏の考えは次の通りである。

『正月17日、この土地の山仕事をする人たちが、南方の滝子山の西の浜立山(破魔を立てる山)に向かって矢を射る。
そして山神の加護を願い、身の安全、豊猟などを願った。
その矢を射た山をハマイバ丸というようになったのではないかと。

(そして最後に山村正光氏はこう結んでいる)

とにかく、この大菩薩南嶺は不思議な点が多すぎる。』


ハマイバ丸山頂から南に数分行くと、眺めの良い場所がある。

そこが破魔射場なのだそうだ。
これが山名の由来かなあ。


「アルペンガイド6 奥多摩・奥秩父・大菩薩 山と渓谷社」には…。
『破魔射場丸に着く。ここで、山仕事をする人たちが、山ノ神をまつり、山の安全を祈って矢を射ったところであるという。
破魔射場丸の三角点(名称は相沢(ツキザワ)ノ頭)は少し下った展望のよいところにある。』


相沢ノ頭は、破魔射場のことであろう。
昔はそこに三角点があったのだろうか?

また相沢ノ頭(槻沢頭)は点名なので、三角点が移動したのなら、相沢ノ頭も移動したことになる。
しかし、三角点が移動するなんてことがあるのだろうか?
ガイドブックの誤記かもしれない。
小暮理太郎氏の説 ハマは特殊な的
ハマとは特殊な的の事で、これを射るに用いた弓矢をハマ弓ハマ矢と称し後には単に男子の初正月を祝う飾り物となってしまった。
ハマは荒縄やふじづるで作った直径三寸から一尺の輪である。
これを転がすか投げるかして、動いているところを横から射とめるのである。
加藤秀夫氏の説 ハメーバは鹿の狩り場
田野の狩人池永新左衛門ほか二、三人の話では、「あの峰の南側は鹿のハメ遊ぶ所で、秋十月十五日から一週間ぐらい、夜になると鹿がメタハミ出してタケる。
そのためにハメーバ(小暮理太郎氏の説によるとハマイバからの転訛らしい)というので良い狩場だった。
焼山の奥、赤山沢のツメにもハメーバという所がある」と聞いた。
そうすると鹿の狩り場ということになる。
加藤秀夫氏の説 矢を放って悪魔を追い払う儀式
ハマを射る祭りが、この土地で行われたかどうか、ということを考える前に、この祭が甲州にあったものかどうか。
元来、破魔弓を射るという行事の根本は、文字通り弓矢を以て悪魔外道を追い払う祭りで、それらのものが自分の村にいられては困るから、隣村に追ってしまうもので、常に村境を中にして競技は行われ、ハマを飛ばして深く隣村に投げ入れた方を勝ちとする例もある。

正月十七日を山の神の矢射りといい、二尺ぐらいの白木を曲げた弓を台に乗せ、矢は竹に紙の羽根をつけて神前に捧げる。
二十一日にオカンムリオトシとて供えた弓を下げ、テンジクマンジク悪魔外道を射り払うと高声に唱える。
「ハマを飛ばして深く隣村に投げ入れた方を勝ち」
とするならば、より高い場所から射れば、より遠くに射ることができると考えたのではなかろうか。
破魔射場丸は村境でもあるわけだし。
どんな理由があったかは分からないが、破魔矢を破魔弓で射た場所ということだろう。
「はま」はワラやフジ蔓を束ねて作った的で、これを射る弓矢を破魔弓・破魔矢と称した。
この場合は全山カヤトでそれを行うのに適したところの意と考えられる。

出典:日本山名事典 三省堂 P1121
岩科小一郎著 大菩薩連嶺 朋文堂
エアリアマップ昭和52年1977年
エアリアマップ昭和57年3月
考察
丸:マル

韓日辞典より

@床、縁側
A山の背、屋根の棟
B物事の境目、絶頂、山、山場

山は天と地の境目だからね。

日韓辞典で山を引いても、発音はサンなんだよね。不思議。
朝鮮語説

ハマイバを朝鮮語として考えると?
韓日辞典を引くと…。

ハマは下馬、馬からおりること書いてある。

イバンなら、異邦とか異国という意味になり、渡来人が名付けそう。

また別のイバンは厄除けや厄払いの意味で、破魔に通ずる。

イバジシなら、矢はすでにつるを放れたという意味で破魔射場に通ずる。


そういえば箱根にハマイバって無かったっけ?
浜居場砦!!

これの由来って?

解説版にこう書いてあります。

『古代の占いに起源しており、神事や占いごとに関係した場所。』

ってことはやっぱり破魔も神事だよねえ。
また元に戻ってしまった〜。
ウ〜ム。 ┐(´ー`)┌

僕の説は、破魔射場は当て字で、この辺りの豪族又は、日本武尊などの古代の偉人が山頂付近で馬を降りた場所に由来すると思います。

馬を降りることは、韓国語でハマイなのです。

現地の人が、ハマイ、ハマイと言っていて、それを聞いた習慣や風俗を記録する役人がハマイをした場所だからハマイ場と名付けたのではないだろうか?

破魔射場丸から浜立山までは遠すぎるから矢だって届かないよ。

しかし、愛知や兵庫、埼玉にある浜居場の存在理由が無くなってしまうんだよね。
今のところ、破魔矢説が有力かな。
参考写真
2005年8月20日(土)
破魔射場丸山頂
すぐそばの展望地
相沢ノ頭?
破魔射場はガレの好展望地
南アルプスが見えている
破魔射場からの富士山
ここから矢を射た?
破魔射場丸山頂
2005年11月19日(土)
破魔射場丸山頂
2006年2月5日(日)
2006年8月5日(土) 2006年8月19日(土)
2006年8月19日(土)
ハマイバ丸南からのハマイバ丸
2006年9月2日(土)
2006年9月23日(土) 2007年8月25日(土)
2008年6月7日(土) 2008年6月28日(土)
写真館
2007年8月25日(土)破魔射場展望台からの富士山
2008年6月7日(土)破魔射場展望台のトウゴクミツバツツジ
参考文献
小暮理太郎著、山の憶い出(下) P377
山梨百名山 山梨日日新聞社 P134
車窓の山旅 中央線から見える山 山村正光著 実業之日本社 P60
アルペンガイド6 奥多摩・奥秩父・大菩薩 山と渓谷社 P308
大菩薩連嶺 岩科 小一郎著 朋文堂 P255
日本山名事典 三省堂 P1121
山日記
破魔射場丸1 2005年8月20日(土)
破魔射場丸2 2005年11月19日(土)
破魔射場丸3 2006年2月5日(日)
破魔射場丸4 2006年8月5日(土)
破魔射場丸5 2006年8月19日(土)
破魔射場丸6 2006年9月2日(土)
破魔射場丸7 2006年9月23日(土)
破魔射場丸8 2007年8月25日(土)
破魔射場丸9 2008年6月7日(土)
破魔射場丸10 2008年6月28日(土)