06年7月の独言日記

2006年6月30日 金曜日 曇り時々晴れ
ミシミシ…。

僕の使っていた台車は突然割れた。
重さに耐え切れなくなった台車は、二つになってしまった。

それは得意先でのできごとだったので、とても恥ずかしかった。
得意先に台車を借りて、納品を済ませたが、あの会社では、台車を壊した男として噂になっているに違いない…。
ああ恥ずかしい。

6年間お世話になった台車とお別れしなければならない。
さようなら。
台車 買い物
御殿岩紀行その4
ブオンブオン!
ε=ε=ε=ε=ε=(o- -)oブーン

車は勢いを付けて、坂道を登り速くも遅くもない速度で凍結した路面を通過した。

三ノ瀬に着いて、デナリのスノーシューを峰さんに預け、歩き出す。
入口からしばらくで、雪を踏むようになる。
スノーシューの分、重いので調子は今ひとつ。

牛王院下で、スノーシューを着けたくなり、峰さんに勧めたがまだ雪が少なく、着けないほうが歩きやすいとのことだった。
着けていいよと言われたが、僕だけ着けても面白くないし。

将監小屋へ行く道と分かれ、七ツ石尾根を登る。
標高が上がったせいか雪がわずかであるが深くなってきた。
積雪5センチといったところだろうか。
まだ踏まれていない雪に、足跡を付けるのは楽しい。
この雪はいつ降った時のものだろう?

やっぱりそろそろスノーシュー着けたいな。
せっかく持ってきたのだから使わないともったいないよ。
ふと、後ろを振り返ると、登山道には点々と僕の足跡が付いていて、10mほど下に峰さんの姿があった。

「ねえ、スノーシュー履こうよ!いいでしょ?」
「かずさんは着けてもいいよ」
「ええ、それじゃつまんないよ〜。二人でやろうよ!」

僕は半ば強制的に、峰さんのザックからスノーシューを取り出し、無理やり履かせた。
簡単に、装着の仕方や、歩き方を説明してレッツゴー!

「どう?楽しいでしょ?」
と僕は、スノーシューの楽しさの押し売りをした。
外さないところを見るとそれなりに気に入ってくれたようだ。

辺りがカラマツになると、七ツ石尾根で一番の急登に差し掛かる。
スノーシューだとけっこう大変なんだよね。
登りきって振り返ると、樹林の間から富士山が見えていた。
しばらく眺めた後、峰さんを先頭に歩く。

緩く左へ登り、たどり着いた平坦地は牛王院平の一角だ。
僕は、カラマツ林が美しいこの場所こそが、牛王院平の中核だと思った。
屋敷跡と思われる、平地は確かに多い。
奥秩父主脈縦走路に合流すると、ここが牛王院平と一般的に言われている場所である。
古くはここが将監峠であった。
牛王院平はここだけでは無く、この付近一帯のことを言っているのだと思う。
付近の平らな場所はどこでも牛王院平なのだ。

右へ牛王院平ノ頭へ寄り道をする。
牛王院平ノ頭っていうのは何かの文献で見たのだけど、この付近一帯の総称の牛王院平のピークっていう意味でこの名は妥当だと思う。
竜喰山や富士山の眺めが良いが、奥秩父主脈縦走路はこの僅か北よりを進んでしまうために、知らない人は知らずに通り過ぎてしまうだろう。
将監峠から将監小屋まで続いている防火帯の途中にこのピークがあるので、なかなか眺めが良いのだ。
三ノ瀬方面からやってくると、最初のビュースポットになる。

防火帯を戻り、分岐から山ノ神土へと向かう途中で、峰さんが木の皮が剥がされているのを見つける。
良く見ると、木の水分が出て、凍っていて窓のようにも見える。
「熊の仕業じゃない?」
「ええ?熊?この季節に?」
僕らが出した結論は、猪が体をこすった跡なのではないかと予想した。
記入者の分からぬ森の伝言板から記入者を読み取る術を知らない僕らは、適当な理由を付けて歩き出した。

山ノ神土は山ノ神戸とも読め、この上にある西御殿岩の東のピーク、山ノ神の入口に当たるのが由来らしいが、祠の存在はどこにも確認されていないらしい。
一説には、高丸ト尾根の一ピークのハルナサンに祠があったというが、謎である。
田島本には、山ノ神ドという文字が見え、恐らくドに土の字を誰かがあてたのだろう。

僕らは、右上へ唐松尾山方面へ登っていく。
樹林の中、トラバースして行くと、崩壊地に突き当たる。
上に行けば橋があるのだが、急斜面なのでスノーシューでは登れないらしい。
峰さんはどうしたものかと立往生していて、それならばと僕が手本を見せるべく、急斜面に取付くが、2,3歩登ってスノーシューがズルズルと後ろに滑り出した。

思わず地面に手が付くと、素手だったので痛いくらいに冷たかった。

悔しいが、スノーシューをここではずすしか手は無かった。

つづく…。

2006年6月29日 木曜日 晴れ時々曇り
あ〜今日は暑かったよ〜。
早くも夏バテです。
睡眠時間6時間じゃ足りないので、今日は8時間寝たいと思います。

夕食はさばの味噌煮の汁をおかずに食べました。
あんまりうまいんで、さばご飯味噌をおかずにして食べました。
おかずが缶詰の残りっていうのは貧しいけど、白いご飯が食べられるのは贅沢だと思います。
2週間くらい、そばの日が続いて、さすがに飽きてきました。
たまには、焼肉とかして〜よ〜。
夕食
御殿岩紀行その3
ゴテンとは地形語で「立岩」のことをいう。
山頂あるいは峠に、立派な立岩が立っていることによる山名。

出典:日本山岳ルーツ大辞典 P589

神の家が存在すると思われるような厳かな(おごそかな:いかめしくて近寄りがたいようす。いかめしい:立派で重々しく近寄りがたいようす。またものものしいようす。)感じのする岩名に多い名。
槍ヶ岳の穂も昔は御殿と呼ばれた。
全国各地にある。

出典:コンサイス日本山名辞典 三省堂 P206

辞書を引くと、「身分の高い人の邸宅を尊敬して言う言葉。たいそう立派な邸宅」とある。

そそり立つような立派な岩なので御殿岩と呼んだのであろう。


3月のはじめ、ネット仲間の峰さんと駅で待ち合わせ、どこへ向かうとも知らぬまま車は発車した。
峰さんのことだから、とりあえず一ノ瀬方面へ向かうことは分かるが、聞いてみても雪の状態次第で、どこまで入れるか分からないらしい。
路面が凍結していたら、柳沢峠付近の山になるだろうと思った。

一ノ瀬林道に入ると、行けそうだというので、笠取山か唐松尾山のどちらにしようか僕らは迷っていた。
天気が良ければ笠取山かなあ、などと考えていたが、空は雲ひとつない青空である。
三ノ瀬が近くなっても青空なので、僕はまだ過去2回登っていて、晴れたことのない西御殿岩へ登ってみたくなってきた。

「西御殿岩へ登りたい!」
と僕は突然叫んだ。

峰さんは同意してくれるだろうか…?

「これだけ晴れてるんだから、展望のいいところへ登ろうヨ(o^<^)o」
とちょっと鰤っ子で念を押してみた。

峰さんは二つ返事で承諾してくれ、まず西御殿岩へ登り、余力があれば唐松尾山にも登ろうということになった。

よっしゃ〜! (★^▽^)V

無計画に車を走らせ、登山口近くでどの山に登るか決めるのも楽しいものである。
こんな行き当たりばったりの登山ができるのも車のおかげ…。
そして峰さんに感謝である。

ところが、あと少しで三ノ瀬という上り坂で路面が凍結していた。
車のタイヤが、空回りして前に進まない。
スノーシューが2セットもあるから重いのだろうか?

それとも僕の体重が…( ̄ー ̄)o゛

あまりにもいたたまれなくなり(いたたまれない:そこにいることがとてもがまんできない。)「外に出て押そうか?」と提案した。

峰さんは「大丈夫!」と言って、ギアを変えると車はスルスルとバックを始めた。

つづく…。

2006年6月28日 水曜日 曇り
社会保険庁の説明会へ行ってきました。
算定基礎届けめんどくさ〜い!
税金もそうだけど、お金関係の手続きがなんでこんなに複雑なんだろう。
一年に一回だとやり方も忘れてしまう〜。
今日はそんな人のための説明会なのだけど、わけわからんことを聞くのって、眠くなるね。
ほとんど寝てました。分からないことは電話で聞くか、提出の時で大丈夫だし。
じゃあなんのための説明会?

川口のリリアホールでやったので、帰りに書泉ブックドームへ寄って立ち読みしてきました。
買った本は、昭文社のなるほど知図帳日本の山です。
山の雑学がぎっしり詰まっていて、なかなかおもしろいのです。

埋蔵金伝説のある山のページにはやっぱり鶏冠山が載っていました。
ますます、行きたくなってきた〜。
買い物 なるほど知図帳
日本の山

2006年6月27日 火曜日 曇りのち晴れ
今日の帰りに、改札を抜けると、僕の「かかと」に何かが当たったので振り返ると、眼鏡が床に落ちていた。

僕の後ろの中年のおじさんが落としたようだった。

なぜか自動改札の扉が閉まっていたのでおかしいなと思ったら、おじさんは僕の後ろからすぐに入れば、改札を通れると思ったようで、僕についてきてそれで閉まったのだった。

確かにセンサーの構造上、僕の体に密着してさえいれば、切符を買わずに入ることが可能だが、他人にそれをやるのは不可能である。
変質者と間違われ、警察に通報されるのがオチである。

扉が閉まり、急に進めなくなったおじさんの顔から慣性の法則で眼鏡が前方に落ちたのであろう。
そして僕のかかとに当たったのである。

引き返すのかと思いきや、おじさんは強引に扉を押し開け、改札を通ってしまった。
妊婦などがぶつかっても平気なように、日本の自動改札の扉は柔らかくできている。
扉がぶつかって、怪我をされて裁判にでもなったら大変なので、こんな構造になったのだろう。
日本のお国柄が良く出ている。

お隣の韓国の自動改札は、太い鉄パイプを手で押さなければ、入れないのである。
まあ韓国の場合、下をくぐれば簡単に無賃乗車ができるという弱点もあるのだが…。
僕は地下鉄で何人か目撃したことがある。
韓国の自動改札機


おじさんは、眼鏡を拾うと、何食わぬ顔で、京浜東北線のホームへと下って行った。

改札係は見て見ぬふりである。

面倒なトラブルに巻き込まれるのが嫌なのは分かるが、きちんと料金を支払って利用している人たちが「正直者がバカを見る」になっているのではなかろうか。
ことに、定期券を買っている僕などは、バカバカしくも思えてくる。

正直者が馬鹿を見る とは…。
ずる賢い人はうまく立ち回って得をすることが多いのに対して、正直な人は規則や法律などをよく守るためにかえって不自由な目にあったり、損をしたりすることが多い。
世の中には矛盾が多いものだということ。

南浦和と言えば、競馬場があるので有名だ。
ラジオでは毎日のように開催日を知らせている。

つまりこのおじさんは、競馬ですっからかんになってしまい、帰りの電車賃も無くなってしまったのだ。
また、競馬で摩ってしまった人は、とかくイライラしている。
駅員もそれを承知の上で注意をしなかったのだ。
触らぬ神に祟り無しを決め込んだのだ。

しかし、ここで正直者が嘆いても仕方がないのである。
それが日本という国なのだから。
買い物
北峰の考察
三ツ森は、北峰の南側三つのピークのことを指し、正確をきすならば、北峰を三ツ森と唱えるのは少々おかしいと思われる。

本来は三ツ森の北に位置する峰ということで、三ツ森北峰が正しく、エアリアマップにはなぜか北峰だけが記載されている。
恐らく、山頂に北峰という山名標が掲げてあるので、これを見た踏査者が何も知らずにこれを採用したのであろう。

浅川あたりから見ると、小山が三つ並んだ北側に大きな山があり、それが北峰である。
小寺集落付近や大寺山付近から鋸尾根を見ると、ほんとに鋸の歯のようにギザギザである。
だから、鋸山や郡内鋸岳という山名も頷ける。
眺める場所によって山の名前が変わるということだ。

虎挟山は田島氏が否定しているように定着しなかったようだが、虎挟とは空き缶やゴミを拾うための鋏で一本の板を折って作ってあり、ピンセットを大きくしたような構造である。
JRや私鉄などで、駅員が清掃に使っているあれである。
緑色の鉄道チリトリの柄の部分に付いていて、金物屋で売っている。
先端は、虎の歯のようにギザギザであることから、鋸山の別称としてこのような名を誰かが考え付いたのであろう。

現在は、山頂に大月市が立てた、立派な山名標に「北峰山頂」とあり、一登山者がブツブツ文句を垂れても、どうにもならなくなってしまっている。
例えおかしくても山名が定着してしまえば、それを使わざるを得ないのである。

参考文献はこちらへ↓
山名由来北峰

2006年6月26日 月曜日 雨のち曇り
午前中梱包をして、午後から照明の内側を塗る作業になりました。
ずっと立ちっぱなしなので足が痛いよ〜。(~Д~;)

田島本を貸してくれるという親切な方が現れ、借りてきました。
図書館通い20回分?が無くなりました。
やった〜〜〜!
嬉しいよ〜。
ありがとうございます。

さあじゃんじゃん奥秩父の研究をするぞ〜。
レポも残り6件全部終わらせて、山に行くぞ〜。
そろそろマジで山に登りたくなってきました。
レポを全部片付けてから、山に登るという目標を掲げたので、最近は全然行けてないんです。
文章書くのって苦手なので、えらい時間がかかってしまうんですよね。
この日記だって、大変なんです。( ´ー`)
シルバーを塗る 田島本 さば味噌のつゆを
ごはんにかけるとうまい
タマネギ炒め

2006年6月25日 日曜日 曇り
22時頃からずっと起きています。
あれだけ眠った後だからね。

HPを作り続けていますよ〜。
やっとこさ、和名倉山のレポが完成しました。

さあ次のレポに取り掛かりますか。
現在7時です。
夕食はサバの味噌煮の缶詰
和名倉紀行その15
まさかと思ったが、3人組の一行なので間違いはないだろうと思った。
Hgさん、シマダさん、hillwalkerさんの健脚3人組である。

それにしても三之瀬から、僅か3時間半でここまで来てしまうとは恐るべき速さだ。
泊まり組みの多摩moguさん、moguさん、reiさん、chiyomiさん、れれさんに加え、日帰り組みのHgさん、シマダさん、hillwalkerさんが合流し、総勢9名で歩き出す。
こんなに大勢の人と山を歩くのは生まれて初めてだ。
みんなそれぞれネットでの知り合いというから不思議な縁だ。

伐採地(本によっては、ここを千代蔵休ン場にしている場合もある)から樹林の中を僅かで和名倉山の山頂に着く。
樹林に囲まれ、狭い山頂で展望は皆無。
4年前とほとんど変わっていなかった。
初めてここに来た人達は、あっけにとられたのか、言葉が無いようだった。
僕もなんと言葉を発すれば良いのか分からない。
僕はあちこちにかけてある山名標を撮影した。
全部6個あったようだ。

秩父の秘境に訪れた記念を残したいという気持ちは分かるが、こんなにも無秩序に山名標をかかげてもいいものなのだろうか?

他にすることも無いので、山頂を後にする。
行きに比べて、帰りは快速のように早い。

焼小屋ノ頭の手前で一休みして、笹原を下って行くと、フデリンドウを発見する。
行きには見かけなかったのでおかしいなあと思ったら、僕らが和名倉山へ登っている間に咲いたらしい。

東仙波の登りにかかると、chiyomiさんが「オジャマグサあったよ〜」と叫んでいる。
相変わらずだなあ。
何枚か写真を撮って、樹林を飛び出すと東仙波に出る。
雲があちこちに湧いていて、行きとは違う景色を楽しめる。
やはり雲が湧いているほうが奥秩父らしい雰囲気だと思った。

行きでシャクナゲをイヤというほど撮ったので、見向きもしないで、どんどん下って行く。
途中の笹原で休憩するのかと思ったら、山ノ神土までノンストップだった。
七ツ石尾根を下るという、シマダさん、hillwalkerさんと牛王院平で別れ、防火帯をたどる。

牛王院平の頭からそのまま防火帯を下り、将監峠へと出た。
将監小屋でのんびり休んでから、林道を下って行く。
れれさんと花談義の花を咲かせながら楽しく三之瀬へと下った。

おわり
将監峠の謎
御殿岩紀行その2
様々な文献を調べると、現・西御殿岩はその昔、御殿岩、御殿山、牛王院山と呼ばれ、七ツ石尾根が国境に合する場所(現・牛王院平)は、将監峠と呼ばれていたそうである。
牛王院は護王院や御王院とも書き、寺院があったらしい。

現・山ノ神土はその昔、山ノ神、山ノ神ドと呼ばれ、正確には山ノ神は西御殿岩の東のピークを指す。
ド(土)を付けることによって区別したのだろうか。
将監峠は現在の場所と他に昔は、七ツ石尾根分岐点(現・牛王院平)、東仙波(2003m峰)
でも呼ばれていたようだ。
ちなみに東仙波は、将監や将監山と呼ばれたこともある。

将監については諸説あるが、天皇家の裁可事務を司る役職で戦国時代の家臣にも与えられてその家臣からきている。

つづく…。

2006年6月24日 土曜日 晴れ
目が覚めたのは、15時。
洗濯とかやってたら、頭が痛くなって、再び横になりました。
再び目が覚めたら21時半。
食欲が無く、だるいです。
病気になってしまったのかな?
日本が負けたから?

見たくも無い映像を思わず見てしまったけれど、大人と子供の喧嘩だね。
日本弱すぎっ!
中田なんて、「もう終わったって顔」してるよ。
きっと引退するんでしょうね。
中村は感想聞かれて、言葉が出なくて、最後にボソっと「残念です…」
彼が出場しなかった前回は、予選突破したのに、今回はできなかったから。
自分を責めているのでしょうか。

ロナウド、ロナウジーニョの活躍がめざましいけれども、光っていたのは、ロジーニョのミドルシュート。
あれは日本人選手にはマネできないね。


ここで日本人の監督にやらせてみるのも一興かも。
中田ジャパンなんて…。どうだろう?
ジーコさんは終身名誉監督??

サッカーのことはすっかり忘れて、再び眠ります。
体の調子が悪いのです。
和名倉紀行その14
「ちが〜う!オ・サ・バ・グ・サ」
「オジャマグサ?」
「ギャハハハ…」

オサバグサ⇒お邪魔草で僕も覚えそうだった。
れれさんから、彼女の武勇伝を聞いて、またも大爆笑。
ウルップソウがどうしてモップソウになってしまうのだろう?
とても汚い花になってしまって、それが可笑しかった。
感性がいいんだろうな。

れれさんが笹の下からフデリンドウを見つけてくれた。
こんな笹の中で良く見つけたなあと思うほどその花は小さい。

草地の中、気持ちよい登りを終えると、焼小屋ノ頭だ。
昔、猟師の小屋が登山道下にあったが、営林署の人がそれを見つけて焼いてしまったことが由来らしい。

近年になって、何度か山火事が発生しているらしく、朽ちた切り株がたくさん並んでいる。
山火事のおかげで眺めがいいのだけど、痛々しい。
それに、伐採時の索道跡の錆びたワイヤーがあちこちに打ち捨ててある。
こんな奥地まで伐採に入っていたのかと感心する。

岩場を下ると、赤いチャート(聖岳や赤石岳にあるのと同じラジオラリヤ石)が露出した場所に出る。
背後には切り立った岩壁があり、ここが吹上と思われる。
吹上ノ頭を巻き終わった眺めの良い場所で、みんな休んでいた。
霞の向こうにボヤけた南アルプスが見え、山座同定のちょっとした論争になった。

右から、甲斐駒、アサヨ峰、北岳じゃない?
アサヨ峰にあんなに雪があるわけない、仙丈だよ。
仙丈はアサヨ峰の陰に隠れるはずだけどなあ。
それとも鳳凰三山かな?
やっぱりあんなに白いのはおかしい。
間ノ岳、塩見岳、悪沢岳かもしれないが、冬の晴れた日にもう一度来なければ真相ははっきりしない。

僕らが出した結論は、Hgさんに聞いてみようということで落ち着いた。

樹林の中を歩くが、木漏れ日が地面に明るい紋様を描き、陰鬱な雰囲気はまったくない。
天気が違うだけで、こうも雰囲気が違うのかと驚かされた。
奥秩父らしいというのは、曇りで霧が立ちこめ、陰鬱な森のことだと思う。

下りが終わり、平坦になると八百平(やおだいら:近くの三角点峰ははっぴゃく)で、明るい林が広がっている。
昔はこの中を歩いたらしいが、現在は左へ続く道をたどる。

川又分岐を過ぎると、やや急な登りになる。
二瀬分岐かなと思った場所は、円板に水場と書いてある場所だった。
テン場なのだろうか?
水場へ続きそうな道は見当たらない。

さらに登ると、ようやく二瀬分岐で、直角に右に曲がり伐採地に出る。
そこが千代蔵休ン場で、広々としていて眺めがいいので、ここでHgさんたちを待つことにする。
山頂は全員で踏もうということだった。
千代蔵休ン場は楠千代蔵という人名が由来だそうだ。

reiさんからお弁当の残りを分けてもらい(ありがとうございます。)、全部平らげると、自分の弁当を食べ始めた。
朝、あれだけ食べたのに食べれるのだろうか?
と心配したが、すべて胃袋に収まってしまった。
これじゃあ、いくら歩いても痩せないよな。
山で食べるご飯は、うまく感じるので仕方が無い。

Hgさんたちが、何時に来るか賭けることになった。
賭けといっても、お金を賭けるわけじゃなくて、ただの遊びだけど。
11時を予想する人が多かったが、いくら神速揃いといえども、そんなに早くはないだろうとコースタイムを計算して、11時半と僕は予想した。

誰かが昼寝をしようと言ったわけでは無いが、メンバーそれぞれが自然と横になった。
山で昼寝なんて滅多にできない贅沢だ。

…。

時は流れ、あと少しで11時という時に声がした。
ムクリと起き上がると、Hgさんらしき人影が見えたが…。

つづく…。

2006年6月23日 金曜日 曇り
ネット通販で予約しておいた、映画、銀色の髪のアギト限定版DVDBOXが届きました。
主題歌がKOKIAさんなんで買った(そんな理由で買ってもいいのか?)んだけど、手数料込みで8,087円でした。

おまけで入ってきたのが四葉のクローバーの種。
四葉のクローバーってマジであったの?

最先端映像スタジオGONZOが贈る心揺さぶる冒険ファンタジーと書いてあります。
夕食食べながら見ますか。
DVD こんなん買いました 何も言うことはありません
和名倉紀行その13
雲海の上の富士山は当然だが、大菩薩嶺や雁ヶ腹摺山までが見渡せた。
井戸沢が深い谷を作っていて、開放感でいっぱいの場所である。
他のメンバー達も足を止めて、写真を撮ったり、山座同定を楽しんでいた。

こんなに楽しい登山は久しぶりだ。
再び樹林の中に入ると左から小ピークを巻いて行く。
この辺りからシャクナゲが目に付き始め、足下には初めて見る恐らく珍しい白いスミレが咲いていた。
これは後日、Hgさんにミヤマツボスミレと教えていただいた。
僕が図鑑で確認しても間違いなかった。

鼻息荒く、興奮気味に写真を撮っているとすっかり遅れを取ってしまう。
急げ急げ…。

リンノ峰手前の鞍部でみんなに追いつくが「あそこにシャクナゲがたくさん咲いているよ」と教えられ、振り返るとヤブの中の斜面に、いくつもの赤い花を付けたシャクナゲが咲いていた。
「先に行っててください」とお願いして、僕は一人ヤブに入りシャクナゲの写真を撮りに向かう。
2枚ほど撮って、登山道に戻ると、後ろから追いついた男性2人に遭遇したので、「シャクナゲがきれいですよ」と教えてあげた。
いいものは他人にも教えたくなってしまう。

再び眺めの良い笹原に出て、リンノ峰は左から巻いてしまう。
樹林の中を進み、巻き終わると仙波ノタルで立ち休憩となった。
moguさんからお菓子を分けてもらい、マンゴーを干したようなものだったが、意外と美味で疲れが取れそう。

やや登りが急になるが、シャクナゲが増えてきて楽しい。
「シャクナゲ咲いてるよ〜」とか
「こっちのほうがたくさん咲いてるよ〜」とか
無邪気にはしゃぐ声が前方より聞こえてくる。
すると、僕も「うわ!ほんとだすげえ!」とはしゃぐ。

天気もいいし、富士山見れたし、シャクナゲはきれいだし、文句無しのパーフェクト。
ああ幸せ〜。
GWの時は悪魔のように思えたシャクナゲも花が咲けば天使のようだ。
一株一株のシャクナゲを丁寧に観察、撮影しながら進むと、前方に岩峰が見えてくる。
顕著なピークなので、これが西仙波かと思われたが、エアリアを見ると距離が近すぎる。
しかし、西仙波は東仙波の対であるから、岩峰が妥当でエアリアの表記は間違っていると思う。西仙波の位置はいまだに不明だ。

先頭集団は、その岩の上で「和名倉山が見えるよ〜」と叫んでいる。
どれどれ?
と大急ぎで岩峰に立つと、顕著では無い丘のようなピークが見え、あれが和名倉山だ。
唐松尾山や国師ヶ岳を多摩moguさんと山座同定して楽しむ。
雁坂峠を見つけた時は嬉しくなってしまった。

西仙波と思われるこの岩峰のガレ場を下り、笹原を少し登ると東仙波に着く。
ここで大休止となった。
みんなはそれぞれ、のんびりと時を過ごす。
寝っころがったり、写真を撮ったり…。
山の上でこんなにもゆったりと時が流れるのはいいもんだ。
今頃Hgさんたちはどの辺だろう?
とみんなで想像した。
七ツ石尾根の中腹だとか、まだ登り始めたばかりだとか。

東仙波からは90度左に折れて、急な樹林の中を下る。
れれさんがオサバグサを見つけてくれて、僕は歓喜した。
「ええええ!生まれて初めて見るよ〜」
葉がシダのように細かく切れていて、白い小さな花と蕾をいくつか直立した細い茎に付けていた。

「オジャマムシ?」

思わず、ずっこけてしまうような言葉が聞こえてくる。
こんなナイスボケをかましてくれたのはchiyomiさんだった。

つづく…。

2006年6月22日 木曜日 雨のち曇り
まったく呆れるね。
「ど素人」なんて俗な言葉。
エリートの中のエリートが使う言葉とは思えない。
あなたは小学生以下の言い訳しかできないのですか?
こっちはね。
一個150円とか40円の品物をチマチマ塗りながら、やっとこさ生活費を稼いでいるんだよ。
出所の分からない金を運用して、儲けてるヤツ…。
どういう神経してるんだろ。

そりゃあ自分だって、胸に手を当ててみれば、完全な善人じゃないよ。
だから、腹立たしい感情を抑えなければいけないんだけどね。
明日は我が身だから。
自分だって、いつ出来心で、手を出してしまうか分からない。

「今日は人の上、明日は我が身の上」
意味は…。
人の世は不安定なものだから、他人の災難をよそごととして見過ごさず、用心しなければいけないという戒め。今日は他人のことだと思っていた災難も、明日は自分のことになるかもしれないという意から。

彼の場合災難じゃなくて、身から出た錆かも。

「身から出た錆」
意味は…。
自分自身が犯した行いや過失のために、あとでわざわいを受けて苦しむこと。
刀身から生じた錆が刀身を腐らせてしまう意から。

分かっててやってしまったのだろうか?
やっぱり出来心?
言い訳ばっかりする大人って見苦しいねえ。


僕は罪を犯した訳じゃないけど、明日坊主になるかもしれません。
もし、ジーコジャパンが負けたら、坊主になります。
勝ったら、いつものスポーツ刈りだけど。

ってほとんど変わらないじゃん。

いやいや、坊主にするのはやはり勇気が要りますよ。
街中でもそれなりに目立つし。
この賭けは、勝って欲しいという僕の気持ちの表れ。
背水の陣で臨み、絶対に勝ってほしい!
勝ってもらわなきゃ困る。

「背水の陣」
意味は…。
川・湖・海などを背にして陣を構え、決死の覚悟で戦うこと。
転じて、一歩も引けない絶対絶命の状況で事に当たること。

漢の名称韓信が趙と戦った時、わざと兵を有利な山上の砦から下ろし、川を背にした不利な陣をしいて戦わせた。兵たちは引くに引かれず、死に物狂いで戦い、趙軍を打ち破ったことによる。

まさにこのとおり。
友人に自分の顔写真を送って、意思を伝えました。
もう引くに引けません。
自らを追い込んでしまいました。
明日はどうなるんだ〜?
浦和図書館 明日は坊主?
じゃっかんひきつってます。
会社帰りに、浦和にある県立図書館へ行きました。
目的は、今や幻の名著となった、「田島勝太郎著 奥多摩」を閲覧するためです。
禁帯出で、コピーもダメとのこと。
仕方がないので、写本することにしました。
今日は6ページだけ書き写してきました。
しばらく図書館通いが続きそうです。
だから今日の帰宅は20時半でした。

それにしても、やはりすごいのは、和名倉山の頁です。
事細かに書いてあり、落ち度を指摘する場所がありません。
田島勝太郎氏は、ほんとにすごい人だと改めて実感いたしました。
ぜひともどこかの出版社で復刻して欲しいと願うのですが…。

まあ写本すれば、より深く理解できていいんだけどね。
和名倉紀行その12
山ノ神土での待ち合わせ時刻は9時…。
今は5時。
この小屋で3時間も時間を潰せるだろうか?

青空の下、早く歩き出したいと両の足がウズウズしている。
今日の予報は晴れのち曇りで下り坂。
できれば午前中のうちに登頂を終えておきたい。
どうしたもんかなあ。

するとmoguさんが機転を利かせてくれて、Hgさんと連絡を取ってくれて、6時に小屋を出発することになった。
「早く出発したい」と頼んだわけでは無いが、気を利かせてくれたmoguさんに感謝感謝!

外にいたれれさんから声をかけられ、クリンソウがたくさん咲いている場所を教えてもらう。
水場の下流にたくさん咲いていて、夢中で写真を撮った。
昨日はなぜ気が付かなかったのだろう?

大部屋で休んでいると、小屋の人たちが、布団を片付け始めた。
小屋の主人と思われる人が和名倉山について語り始める。
「三之瀬7時半の出発で、和名倉山日帰りは無理だよ」

小屋の主人が無理だと言っているところをHgさん、シマダさん、hillwalkerさんは登ってしまうのだ。
それに僕らは、Hgさんたちなら可能だと信じていた。
帰って来たときに、小屋の主人が驚く顔が見てみたいものだ。

昨夜なんとか眠れたのは、ネタを明かすと、予約のあった20人ほどの団体さんが来なかったのだ。
2枚の布団に3人寝ることになったけれど、ギュウギュウ詰めでは無かったのはそのおかげだと分かった。
本当だったら、20人の団体が二つ来る予定だったのが、一つしか来なかったのだ。
きっと団体同士の鉢合わせになるっていうのを聞いて片方が遠慮したのだろう。
どちらも大手のツアーのようだった。

サブザックにお弁当と水筒、雨具、地図などを揃えて、青空の下午前6時に小屋を出発する。
将監峠で、雲取山へ向かうパーティと分かれ、僕らは山道を牛王院平へ向かう。
水道局の標柱の建つ牛王院平は七ツ石尾根が分岐していて、昔はここを将監峠と言ったらしい。
七ツ石尾根は古くからある道なのでそれも当然だろう。
将監峠は、現在の東仙波のことも指していたようで、はっきりしたことは文献を詳しく調べないと分からない。
今回の山旅は、和名倉山が主であるから、将監峠の由来については、西御殿岩のレポで詳しく研究しようと思う。

僕はみんなに声をかけて、寄り道を提案する。
昨日、ズルをした罪滅ぼしというわけでは無いが、もしかしたら富士山が見えるかも知れないし、みんなにも牛王院平の頭からの景色を、朝のうちに堪能してほしいと思ったからだ。

防火帯を登り、頭に登ると展望が広がりメンバーから歓声が次々にあがる。
歓声があがるたびに僕の潰れた鼻は高くなった。
仲間と一緒に歩いていて良かったと思うのはこういう時である。

朝は見えなかった富士山も、この時ははっきりとしていて、雲海の上に浮かぶ孤島のようだった。
きっと下界は雨か霧なんだろうなあ。
この優越感はなんともいえない。
それぞれがそれぞれの思いで、景色を楽しんだろうと思う。

将監峠から防火帯をたどり、直接こちらへ登っても良かったのだが、山道経由のほうが楽だと思ったのだ。
和名倉山まで距離が長いし、油断はできない。
無駄な体力は使わないほうが良い。

分岐へ戻り、遭難碑を見て山ノ神土に着く。
数年前にあった和名倉山への注意を則す看板は撤去されたらしい。
ってことは、誰でも気軽に登れる山になったということだろうか?

右へ樹林の中に入ると、雰囲気は一変する。
笹の中の細道となり、足下は笹の根や横倒しになった茎で滑りやすい。
幸い、好天が続いたためか、朝露は無く足下も濡れずに歩くことができる。
4年前(レポはこちら→和名倉山1飛竜山1)に来たときよりも歩きやすくなっている気がした。

一杯水の水場を過ぎ、笹の中の上下を小刻みに繰り返すと、西御殿岩から続く尾根に合って樹林を抜ける。
目の前には、「うわ〜気持ちいい!」と、ついつい叫んでしまうほどの展望が広がっていた。

つづく…。
将監峠の謎
御殿岩紀行その1
田島勝太郎著 奥多摩より…。

唐松尾山の東の突起は、御殿岩と呼ばれる。
(御殿山というのは間違いだ)
その突起の東端が山ノ神である。
共に古生層の硬い岩で栂や岩躑躅がこれを蔽(おお)っている。
その中で御殿岩の方は岩石の露出が丸出しに秩父方面から見える場所がある。
これから秩父方面に槇ノ沢の深い切れ込みと、白石山の尨大(ぼうだい)な真黒な山容、それに千代蔵休ン場と八百平の美しい野原のスロープを見た景色は何ともいえぬ。



つづく…。

2006年6月21日 水曜日 雨のち曇り
今日の間食はチーズチキンカツドッグ240円。
これも美味。

東京まで納品に行ったりしたけど、1日中やってのは、白塗装。
もう鼻の穴まで真っ白。
毎日寝不足だけど、無遅刻無欠勤が続いておりやす。
間食 今日のお仕事 買い物
和名倉紀行その11
目が覚めると、小屋の屋根が吹き飛んでいて、星空が見えていた。
雨が降ったらいやだな…。

するとたちまち黒雲がもくもく湧いてきて、雨が降ってきた。
寝ていた他の人たちも起き出して、右往左往し始めた。
これじゃあ眠れないってんで、僕は屋根のあるトイレにかけこんだ。

う〜ん(~Д~;)

目が覚めると、小屋の屋根はそのまま在った。
ふうぅぅぅぅぅぅ…。
夢だったのか。

誰かが星がきれいだと言っていた。
うん、俺も見に行こう。
でも体が重くて、起き上がれない?
体は眠っているのに、脳だけ起きてるって状態で。

薄眠りを続けて、0時にようやく外へ出ることができた。
しかし、黒雲ばかりで、星はまったく見えなかった。
明日の天気は大丈夫なのだろうか?
確かに星空が見えるって聞こえたけれど、あれは寝言だったのかな?
それとも僕はまだ夢の中なのだろうか?

3時半頃から、ガサガサ音がし始めて、4時になると小屋から出発する人たちでガタガタになる。
しっかり寝ないとバテるぞ、と思ったが人の歩く音、ザックの中を整理する音などが聞こえてきて、眠れない。
彼らはこんなに朝早くから、どこへ向かうのだろう?
唐松尾山?和名倉山?それとも…。
雲取山?

あ〜だめだ、眠れない。

もういいや!
起きよう!


外に出ると、青空だった。
昨夜の黒雲はやはり夢だったのだろうか?
僕は時々夢か現実か分からない夢を見る。
時間が経てば経つほどその境界線は曖昧になる。

時計を見ると4時20分だったので、moguさんに日の出を見に行くことを告げて歩き出した。
4時半の日の出には急げば、間にあいそう。
将監峠から防火帯をたどり、牛王院平の頭へ。

振り返ると、竜喰山の黒いシルエットの左、雲海から真っ赤な太陽が顔を出しているところだった。
あ〜みんなにも見せてあげたいなあ…。

しばらくぼうっと眺めて小屋に戻ると、すでに朝食が始まっているのか、大部屋はガランとしていた。
ええええ!?Σ( ̄□ ̄;)
朝食の時間は5時だったはず!
どうやら4時半に始まっていたらしい。

慌てて食堂へ行くと、
「待ってました〜」
って雰囲気…。

へ?
何?

目の前にはなぜか、山盛りの白い飯粒が〜〜〜!
ここの小屋はずいぶんとサービスがいいんだね。

ってちが〜う!
誰ですか?
こんなに残した人は?
うちのメンバーのご飯が全部目の前に集合したような気が…。

あ〜もったいない。
と思いつつも、メンバーの心配りがなぜかちょっぴり嬉しい。
それは小屋に来ると、僕は大食漢になってしまうからだ〜。

玉子をかけて、鮎?の甘露煮をおかずに、バクバク食べる。
だめだ〜もう食いきれね〜!
ふと周りの食卓を見渡せば、おかずがあちこちで残っている。

「あ〜あ、タッパ持ってくりゃ良かったな」と呟くと。

「そうだ!それならお弁当に詰めちゃえば?」と言われる。

お〜!
それはグ〜ッドアイディ〜ア!

僕はお弁当の蓋を開けて、残してある甘露煮を挿入した。
こんなことやってるから俺は痩せないんだ〜。(;>_<;)

つづく…。

2006年6月20日 火曜日 曇り時々晴れ
ミーハーなんで、セブンの新発売の食べ物を買ってみました。
プチカフェフォカッチャチキンコウソウヤキ。
なんだか舌かみそうな名前だね。

250円にしてはけっこううまかったよ。

セブンもミニストップに対抗し始めてるんだね。

そして帰宅したらまたゲームやってしまいました。
いつもちょっとだけのつもりなんだけど。
間食
和名倉紀行その10
泊り客は、僕らと単独行者が数人だと思っていたので、突拍子も無い人数に驚いた。
こんな平屋に50人も寝られるのだろうか。
ガイドブックには、収容70人となっている。
それでも不安だ〜。

宿泊代は先払いで、まとめて支払った。
弁当込みで一人7,500円。

れれさんがクリンソウが咲いているよと言うので、水場へ行くと他にも数種類の花が咲いていた。
撮影には難儀をしいられたが、キバナノコマノツメは嬉しかった。

小屋に入ると、いきなり暖かい。
ストーブが真ん中にデデンと居座っている玄関だ。
僕らは、大部屋の片隅で酒盛りを始めると、多摩moguさんが持ってきた2Lのビールはあっという間になくなってしまう。

コップに注ごうとするが、ビールはもう出て来ない…。

俺も持ってくれば良かったなあ。

酒が入ると、寝床の不安なことは忘れて、山談義に花が咲く。
一人だったら、寂しそうに小さくなっているところだが、今日は仲間がいて楽しい。

日が暮れかかった頃に、食事の用意ができて、隣の食堂へ行く。
今夜はカレーライスだ。
先ほど、お酒とつまみを飲み食いしたせいか、他のメンバーの食が進まない。
あちこちからご飯をいただくと、おかわりをする必要がなくなった。
小屋の飯はうまいなあ。

大部屋に戻ると、さっそく布団が敷かれ始める。
団体さんから先に布団が敷かれ始め、自分らの布団はあるのか不安になってくる。
僕はどうしたらよいものか手持ちぶさたでただ立ち尽くすしかできなかった。
不安だ〜┐('〜`;)┌
小屋泊まりで一番緊張するのは、寝床を確保する時だ。

あ〜僕らの布団はあるのだろうか?
小屋の主人に忘れられていないだろうか?
などなど、不安な時間が流れる。
こういうときって時の流れが遅い。

ようやく敷布団などを敷いて、小屋の人が枕を配り始めた。
ただ配られるのを待っていると、いつになるか分からないので、我慢できずに枕を取りに行く。

順番に並んで、やっと僕の番が回ってきた。
「枕6個ください!」
き、決まったぜぃ!

枕6個を受け取り振り返ると、いきなり見ず知らずの人に、枕を奪い取られそうになり、必死に枕を強く抱きしめた。

バーゲンセールのつかみ放題の感覚ってこんなものじゃないだろうか。
僕は枕を守るために必死だった。

なんで枕ごときにこんな苦労を…。

みんなに枕を配り終え、僕は大役を果たした。
(;´・`)> ふぅ

時計はまだ19時で寝るには早かったけれど、周りを見渡せば布団に入っている人がほとんどなので、僕も布団に潜り込んだ。

つづく…。

2006年6月19日 月曜日 曇り時々晴れ
やっとこさ、HPの製作に取り掛かり、日付が変わって、3時半に朝食をとりました。
豚の心臓はうまいね〜。
( ̄□ヾ) ネムー

それでもしっかり仕事しましたよ。
今日こそ早く寝ようと思ったのにもう23時だよ〜。
触らぬ神に祟りなし・嘘も方便
昨日のサッカーが勝てなかったせいだろうか?

それもあるだろう。

しかし、もっとも大きな理由は、その陰で父の日ということが忘れ去られているという事実だ。

朝から社長(オヤジ)の虫の居所が悪い。
こういうときは触らぬ神に祟りなしだ。

(かかわり合いを持ちさえしなければ、災いを受けることはない。
よけいな手出しはするなという教え。
神様とかかわり合わなければ、神様の祟りを受けることはないの意から。)

きっと愛娘から、プレゼントが何も無かったのだろう…。
わかり易いといえばわかり易いが…。

当たり散らされるこちらはいい迷惑だ。

頼むから日本勝ってくれよ〜。
妹には嘘でも社交辞令でもなんでもいいから、「パパスキ」とか「おとん大好き」とか言って欲しいものだ。
荒ぶる神を鎮めることができるのは、我が家の天照しかいないのだ。

言葉だけなら、お金は一銭もかからんのだからええじゃろう。
嘘も方便だよ

(うそをつくことはよくないが、時と場合によっては物事を円滑に運ぶための手段として必要だということ。
方便⇒もと仏教用語で、仏が衆生を救って、悟りの世界へ導くための便宜的な方法・手段のこと。)

ああ日本にはなんとうまい言葉が氾濫しているのであろう。
仏も悟りのためなら、欺くんだよ。

心にも無いお世辞は決して、嘘とは性質が違うと思う。
相手をハッピーにさせる嘘なら、じゃんじゃんやるべきだ。
子供の嘘なんてかわいいもんだよ。
朝食
和名倉山「山名考」
和名倉紀行その9
栃本方面で白石なる名称の所在を詮索して見ると。仙波山から北の最後の2000m峰の北(吹上?)が白石なりともいうし、人によっては、和名倉頂上の西端から北派された山脈が二分するもののうち、西方の支脈へ一寸下った1980mの頭であるともいわれている。

この蒼古たる森林内に稀に佇立する岩石が、どんなに小なるものでも、それが猟師や樵夫の目標として漫然「白石」と通称されたのではあるまいかと思う。

和名倉山というのは三峰の称呼であり、直前の和名倉沢によって、その主峰の意味で名付けられたものと想像されるが、ある人は、山の方が主で、沢名はかえってそこから導かれたものであるという、雲取における雲取谷のごときものかも知れない。

出典:原全教著 奥秩父 P411

和名倉山:わなくらやま、わなぐらやま
白石山:しろいしやま、しらいしやま、はくせきさん

一つの山なのに、文献を調べるうちに呼び方が5つも出てきた。
もう訳が分からないので、ここでは読み易くて慣れ親しんだ和名倉山:わなくらやまと呼ぶことにする。



車に乗ってさあ帰ろう!

Σ( ̄□ ̄;)

じゃないよ…!

今日は小屋泊まりだから、まだ続きがあるのだ。
先ほどの登山口よりも低いところから登るっていうのは?
車が無いと実行できないプランだ。
Hgさんと多摩moguさんに感謝!
もう一座いやニ座登ったんだし、直接将監小屋に行きたくなってきたなあ…。

多摩moguさんは三之瀬の民宿に車を止めた。
駐車代は二日で1,000円なので、みんなで割れば安くなる。

明日、山ノ神土で再会する約束をして、Hgさんは帰宅する。
ブロロロロロ…。ε=ε=ε=ε=ε=車

もう何度も通った沢沿いの林道を登っていく。
足下にはシロバナノヘビイチゴがちらほら咲いている。
スゲイネもしっかり咲いているので、みんなから遅れがちだ。

ミヤマハコベを撮っていると、「ゆっくりでいいよ〜」というありがたい声が上から聞こえてくる。
しかし、いつまでも甘えているわけにもいかないので、僕はペースを上げてなんとかみんなに追いつく。

牛王院下で、七ツ石尾根が分かれ、本来の予定ではこちらを登る予定だったが、花の写真をいくつも撮ってきた僕は、かなりバテていたので、林道をそのまま将監小屋へ向かうことを提案する。
七ツ石尾根の急登は、どうしても避けたかった。

相談の結果、「僕が疲れて、七ツ石尾根を中止にした」ということにしてみなの意見が一致。
こういうときは妙に結束力が強くなるメンバー達。(^凹^)
「ま、まあ将監小屋へ直接行けるのならなんでもいいや…」
苦笑しながら、林道を進む。

それにしてもこんなに疲れているのはなぜだろう?
ここ最近は睡眠時間4〜6時間の日が続いていたので、そのせいだろうと思った。

一台の軽が林道を登って行く…。
みんなの願いは同じ。

「の、乗せてくれ〜」

「せめて荷物だけでも…」

恨めしそうに見つめる僕らを尻目に、軽は走り去って行った。

「きっと、営林署の人じゃない?」
などと勝手に決め込んで諦めることにした。

うっすら汗をかく頃、休憩になりmoguさんがお菓子をくれた。
黒砂糖は疲れが取れるねえ。
アザース!(ありがとうございます)

トウゴクミツバツツジとダケカンバのきれいな景色が見えてくると、青い建物の将監小屋が目に飛び込んで来た。
番犬のレモンが出迎えてくれる。

玄関前に来ると、小屋の周囲が妙に騒がしいことに気が付く。
もしかして、この人たちも泊まるの?
14,5人がワイワイガヤガヤ。

よくよく話を聞いてみると…。





!Σ( ̄□ ̄;)





今日は50人も泊まり客がいるそうだ。
ぎょええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!( T∇T)‥…(((σ ガチョーーーン


つづく…。

2006年6月18日 日曜日 雨
7時頃寝て、15時頃起きました。
雨が降ってたけど、洗濯して卵を買いにオザムへ。
久しぶりに納豆ご飯を食べました。

HPを作らないといけないのは分かってるけど。
ゲームですよ。
パソコンに向かう気分を作るのが大変です。
買い物 朝食?昼食?
和名倉山「山名考」
和名倉紀行その8
新日本山岳誌 日本山岳会編著 ナカニシヤ出版 P641

には「わなぐらやま」とある。
今まで「わなくらやま」と濁らないと思っていたのは間違いだったのだろうか。
興味深い解説文があるので紹介しておこう。


『山名の和名倉は秩父側の呼称で、地形図にある「白石」は甲州側の称。
小暮理太郎は『山の憶い出』(下巻)(上巻の間違い?)の「秩父の奥山」で「白石神社の在る白石山や、又は白岩山などと紛れ易い。
宜しく秩父は勿論甲州でも通用する広い名称の和名倉山に改むべきである」と述べ、「頂上付近には白い岩があるのだそうである」とも書いている。
その白石は東仙波の北東側斜面、芋ノ窪水源付近にあるようだ。

奥秩父の幽寂(ユウジャク:奥深く物静かで、さびしいこと。)郷とうたわれ、秘峰とも形容された好事家向きのこの山も、今では多くの登山者を迎えるに至り、登山道もほぼ明瞭。
また、大洞川支流和名倉沢や市ノ沢、滝川支流金山沢をはじめ、周辺には遡行対象となる沢も多い。

かつて和名倉山への尾根路は、奥秩父らしい深い原生林に覆われていたが、1957年頃から1965年頃まで行われた大規模な伐採により無残な坊主山にされてしまった。
加えて、その後大規模な森林火災にも見舞われ、和名倉山東方、および東仙波の東側斜面を広範囲にわたり焼いてしまった。

奥秩父主脈縦走路の山ノ神土から和名倉山へは、現在もスズタケの原に低灌木が覆う見晴らしの良い尾根が主体で、針葉樹とカンバ類など広葉樹の混交林も残っている。

現在、登山道でもある甲州側一ノ瀬から将監峠〜和名倉山を経て秩父側麻生を結ぶ道は、荒川源流域での金鉱採掘に力を入れた甲斐武田氏の時代から知られた間道である。
現在の将監峠は、わずか下方に将監小屋が建ったためか、秩父市大滝、山梨県甲州市、北都留郡丹波山村の境界をなす鞍部を指す(エアリアマップの将監峠)が、ここは古くから「井戸沢のタル」と呼ばれる。
もとを正せば、山ノ神土から牛王院平:ゴオウインダイラ(護王院、御王院とも)にかけての一帯を将監峠と呼んでいたと思われ、牛王院平から南の三ノ瀬に下る七ツ石尾根こそが将監峠越えの旧道であった。

牛王院平には、武田金にまつわる寺院があったといわれ、付近には牛蒡金採掘後の竪坑が散在し、採用金の石臼も見つかっている。

「将監の名については、原全教は『奥秩父』(正編)に丹波の守岡家の祖である芦沢将監と云う人が奥センバ(中略)に小屋がけして、飯櫃(メシビツ:ご飯を入れるための木でできた入れ物)を作っていた」という伝聞も紹介している。

現在は稜線伝いに越える西仙波、東仙波(2003m)だが、古くは南面〜東面には巻道もあって、東仙波からは大洞林道支線が大洞川流域の惣小屋へ、仙波のタルからは滝川林道槇ノ沢線が滝川流域の釣橋小屋へと越えていた。

「仙波ノタル」とは秩父側の呼称だが、甲州側の呼称に盗伐(トウバツ:他人の山林から木や竹をこっそり切って盗むこと)木(トウバツギ)ともあり、またこの地を将監峠と呼ぶ人もいた。

西仙波は、古くは甲州側の呼称で前仙波と呼び、東仙波には甲武ともに奥仙波、仙波山(仙波の頭)の呼称がある。
さらに東仙波の東、1960m圏内の峰(カバアノ頭)にも前仙波の名がある。
いずれにせよ古くから付近一帯を「仙波」と呼んだらしい。
西仙波・東仙波の呼称は、混乱を避けるために田島勝太郎氏が提唱したもの。

なお大洞林道支線に対して、大洞川かた飛竜山北面を巻いて牛王院平に通じる大洞林道本線が存在した。

中略

大洞林道経由仁田小屋尾根などの登路が知られている。』



つづく…。

2006年6月17日 土曜日 曇り
12時に目が覚めました。
12時間くらい寝たかな。

軽く朝食を食べて、友達の家に遊びに行って来ます。

まずは、池袋でGWの時に壊れた眼鏡を修理に出してあったのを受け取ります。
慣れてないので、クラクラします。

麻布の友達の家で、ヤキソバなどを御馳走になりました。
おいしかったにゃー〜(=^・・^)ノ>°)##)彡

帰宅途中、セレブな街をウロチョロしていると、セレブなローソンを見つけました。
店内の品揃えは、普通のローソンでしたが、外装は高級感漂う、色使いになっておりました。

例の港区のデザイナーズマンションは芝浦らしいですよ。
なんかそれが分かっただけでじゅうぶんでした。
野次馬根性で見に行く気にはなれません。
池袋駅 一ノ橋 夕食
ローソン
和名倉紀行その7
お弁当を食べて、分岐へ戻る。
途中にあった巨樹はダケカンバだそうだ。
まったく別の種類のように変わっていて、こんなにでかくなることも知らなかった。

分岐で右の苔むした道を下る。
黒川山の北側斜面なので、今までとはだいぶ趣が違う。
そういえば、だいぶ前にもHgさんと歩いたっけ…。
あん時は、足下が濡れていて、石の上がツルツル滑っていたよな。

レポはこちら→黒川鶏冠山

な〜んかあの時もHgさんの後を必死で追いかけていたような…。
4年前は若かったね〜。

涸れ沢でHgさんがミヤマスミレを見つけたというので、僕はいろんな角度で写真を撮った。
毎度のことながら、スミレの撮影には、かなりの時間を費やさねばならない。
4年前は花に全然興味が無かったんだけど、今じゃすっかりドツボにはまるほどになっている。
花の面白さを教えてくれたHgさんには感謝、今でも頭が上がらない。

気がつくと、周りには誰もいなかった…。

待ってくれ〜。

と走って行くと、ようやくHgさんの後姿。
しかし、イワセントウソウが白い小さな花を咲かせているのを見つけてしまう。
こんなとこにも咲いていたか。

米粒のように小さな花はピントが合わせにくい。

焦りながらも、足下に花が咲いていないかチェックするのには余念が無かった。
それにしても、今日のメンバーは健脚揃いだ。
かなり飛ばしているが、なかなか追いつかない。
俺が遅いのか…?

やっとれれさんに追いつくとルイヨウボタンの花が咲いていると教えてもらう。
花色が緑なので、見逃しやすい花だ。
僕はこの花を以前に一度しか見ていない。
ここでも一株しか無かったので、数は少ないのだと思う。
そんな花に出会えると、得した気分で嬉しくなってくる。

その後も、ミヤマネコノメソウ?の果実の写真などを撮っていると、すっかり遅くなってしまった。

待ってくれ〜。(心の叫び)

落合の分岐が近付くと、「かずさんこっちだよ〜」と声が聞こえ、「は〜い」と返事をすると安心した。
ここからやや登りになり、巨樹のところでmoguさんに追いつくことができた。
木の種類は分からないが、大人5人が手を伸ばしてやっとつながるくらい太い幹だ。
これだけでかいとその生命力を存分に感じることができる。

ゼーハーゼーハーいいながらようやく先頭集団に追いついた。
今日の僕は不調なのだろうか?
かなりバテていた。

横手峠からは往路を戻る。

キランソウの白花品のデジカメ画像をれれさんに見せると、オウギカズラという返答が返ってきた。
こんな花は今まで見たことも聞いたこともない。
この花も珍しいんじゃないかな。

是非生で見せてあげようと、目を凝らして探したが、見つけることができないまま、新横手峠分岐に来てしまった。
行きで見つけた花が帰りも必ず見つかるとは限らないと思い知らされる。
やはり花は見つけた時に撮っておかないとダメなんだ。

林道を道なりに進むと、三本木へ出て、砂利道を右へ新横手峠に戻った。

つづく…。

2006年6月16日 金曜日 雨のち曇り
この前暇だったのが嘘みたいに仕事がきちゃうよ〜。
来週も忙しいぞ!

朝は、体がびしょびしょになるほどの雨だったけど、そんなにひどい降りじゃ無かったね。


時々難しい言葉が閃く…。

「詭弁を弄する佞奸め!」

佞奸:ネイカン、うわべは従順・柔和に見せかけていて、または口先でうまいことを言っていて、心の底は悪いこと。

弄する:ロウスル、もてあそぶ。

詭弁:キベン、道理に合わないいいくるめの議論。
ごまかしの議論。
論理学で相手の思考の混乱や感情につけ入って相手をだます、見掛け上は正しそうな、虚偽の推論。


口だけうまいこと言って、だます人って世の中には多いよね。
振り込め詐欺とか…。

そんな時は「詭弁を弄する佞奸め!」と言ってやればいいんじゃないかな?

「うわべは従順・柔和に見せかけていて、心の底は悪いこと。」
っていうのはオイラのこと?
ドキ〜〜〜〜〜〜〜〜!!Σ( ̄□ ̄;)

っとしましたよ。

でも誰の心にも大なり小なり悪の心があるはず…。
悪の心が無いのは神様くらいなものだよ。

聖人面した、日銀の総裁だって悪いことしてるんだから、人の心なんてうわべだけじゃ分からないってことだよね。
今日の空
和名倉紀行その6
横手峠で右に黒川金山への道を分けて、すぐに左へ落合と鶏冠山への道を分ける。
変則的な十字路だが、指導標が立っているので、間違えることは無い。
右斜め前方の道に入る。

またしてもスゲイネマニアを喜ばす花が咲いているので、足を止めて観察していると、みんなから遅れをとってしまう。

走って追いかけると、黒川山分岐で追いつくことができた。
ゼーハーゼーハー。

ここの指導標は少しおかしい。
黒川山と書いてあるのに、黒川山を指している。
横手峠は横手山峠となっていたし、誰が作ったのだろう?
巻道、黒川山、鶏冠山と道が3つに分かれるが、真ん中の黒川山を目指す道に入る。

少し登れば、黒川山三角点だ。
展望は無いので、写真だけ撮って、通過してしまう。

巻道を合わせ、尾根を進めば樹林を抜けて岩峰に飛び出る。
ここが見晴台だ。

雲の切れ間に奥秩父が見える。
ここに立つのは今日で3度目だが、すっきりと晴れたことが無い。
それでも、小さなこの岩峰を下ったところにイワカガミが咲いているのをHgさんが教えてくれる。
イワカガミは、誰にも見つからないような岩陰に、ひっそりと咲いていた。
赤い小さなラッパのような花の写真を撮るために、少々危険を覚悟せねばならなかった。
イワカガミはそんな場所に咲く花なのだ。

先ほどの分岐へ戻り、鶏冠山方面へ下る。
横手峠・落合分岐を過ぎると巨樹を見て岩場の登りとなる。
今日唯一の山登りらしい登りだ。

だが僅かに登って終わる。

岩を越えると、別天地に入ったかのように、シャクナゲが咲いていた。
毎年見慣れているとは言え、遭遇するとやはり嬉しい。
登山道から離れた場所に咲いているので、撮影には時間を要した。

気がつくと周りにいたのはれれさんだけだった。
イワカガミの咲いている場所を教えてもらい、木につかまりながら撮影した。

途中で落ちている白い花弁は、シロヤシオかと思ったが、Hgさんによるとシャクナゲだった。
どちらも同じツツジ科だ。
シャクナゲは、花弁が落ちる頃は、白くなるのだそうだ。
蕾の時はあんなに赤いのに、どんどん色褪せていく花なのだ。

山頂はそこからすぐ近くで、岩の上でメンバーがすでに休憩していた。
切り立った岩場なのだが、今日は曇りで何も見えない。
こういう岩場は何も見えないほうが良い。
あ〜おそろしや…。

黄金伝説のことを知っていれば、祠の中を覗くこともしたのだろうが、そんな罰当たりなことはできないし、鶏冠山にそんな伝説があろうとは知らなかったので、腰を降ろして弁当を食べただけだった。
知識があるのと無いのとでは、山の楽しみ方がこうも違うのかと、下山後に岩科 小一郎氏の本を読んで思った。
な〜に、鶏冠山ならまた来れるさ。
次の楽しみにとっておこう!

つづく…。

2006年6月15日 木曜日 曇りのち雨
昨夜は、穂先メンマやホールコーンをツマミに玉ちゃんからもらった高麗人参酒を飲みました。
お酒飲むと、眠りが浅くなるってほんとだね。



窓の外は雷鳴と青空。
ガレキのような山に登る夢。
この夢は何度も出てくる。
いろんな山に登ったけど、まだこの景色には出会えていない…。


便器にカビが発生してました。
湿度はなんと69%も。

郵便受けにピザハットのチラシが入っており…。

太るぞ!
散財するぞ!

と言う声を無視して、電話しちゃいました。
期間限定には無茶苦茶弱い僕です。

サッカーは観戦しないけど、サッカー応援セットなるものを注文。
時々体に悪そうな油っぽいものが無性に食べたくなります。

いけないことをこっそりやる喜び?
学校のトイレで隠れてたばこを吸うような。
久々のピザ サッカー応援セット

2006年6月14日 水曜日 曇り
オーストレイリアと聞くだけで、ムカっとする?
たまには日本にも勝たせてくれよ〜。

もうオーストラリアへは旅行しないよ〜だ!
ハネムーンのグレートバリアリーフも中止!
って結婚の予定なんてまったくないけど…。

日本が勝ってくれないと、ハネムーンの候補地がどんどん減って行くよ〜。
頼むから勝ってくれ!


惣菜のコロッケを買ったたらこれが意外とうまい!
お肉屋さんで食べた揚げたてのコロッケを思い出しました。
買い物
和名倉紀行その5
トイレで踏ん張ってたんで遅くなりました〜。
言わないようにしてようと思うと、口から出てしまう。

多摩moguさんの運転で、車は青梅街道を西へ。
車内は、楽しい雰囲気。
笑っていれば、雨なんか吹き飛ぶさって感じだ。

奥多摩駅で久しぶりにHgさんと再会する。
2台連なって、さらに奥地へ。
奥多摩湖の水面はまたしても低い、浮橋も撤去されている。

山梨県に入ると、青空が…。
晴れ男晴れ女はどなたですか〜?
これには少々驚き、ウキウキしてくる。

落合でトイレ休憩をして、柳沢峠の手前で左に折れると、林道の砂利道になる。
ウネウネした林道を進むと、車は少し開けた広場で停車した。
ここが新横手峠である。

サブザックに弁当と水筒を入れ、1列になって樹林の中を下る。
すぐに柳沢峠からの道に合流して、左へ曲がる。

足下には初めて見る花が咲いている。
キランソウを白くしたような花…。
初めて見る花を見つけると嬉しくなってしまう。

標高が高いので花の数は少ないが、スゲ科の地味な花を数多く見ることができた。
スゲ・イネマニアにはとっては嬉しい限りだ。

タチツボスミレは、距が白くなっていた。
普通は紫なんだけどなんでだろう?

そんな雑草のような花を撮り続けていると、みんなからはぐれてしまう。
待ってくれ〜!
一人は寂しいよ〜!

走って追いかけると、横手峠で追いつくことができた。

つづく…。

2006年6月13日 火曜日 曇り
サッカー負けたの?
期待しちゃダメなんだよね。
無関心を装ってきたけど、このまま無関心を装うことにしよう。
サッカーなんて興味ありませ〜んみたいな。

いつも僕ってこうなんだ。
落込む時のために、どんなに良いことがあっても喜ばない。
悪いことがあったときの準備をしておく。

あんまり自分が幸せだと、他人から妬まれることもあるだろうし。
不幸より、ちょっと幸せな気分でいいんじゃないかな…。
冷めてる〜。
買い物
和名倉紀行その4
黒川山と鶏冠山の山名の由来をまとめてみよう…。

黒川山は…。
黒川の名は太古からあり、由来は定かでは無い。
黒川金山を抱く山だから、黒川山とついたらしい。

鶏冠山は…。
東の丹波山村よりみると、山頂が鶏のトサカのようであるため、この名が付けられた。


そんな山をHgさんたちと登ることになった。
僕にとってはGW以来久しぶりの登山となる。
天気予報は雨マークがついていなかった。
雨だったら、日帰り組にしよう(泊まり組と日帰り組に分かれて和名倉山へ登る計画)と思っていた僕だが、心配することは無かったようだ。

西国分寺から青梅行きの電車に運良く乗ることができたが、待ち合わせ時間より30分以上も早く着いてしまう。
久しぶりの青梅駅構内は一変していて驚いた。
レトロな昭和の臭いが漂うポスターがあちこちに貼ってあるのだ。

時間も余っていることだし、せっかくだから街中をブラブラしてみようという気にもなってくる。
予報では曇りだったのに、駅舎を出ると雨がぱらついていた。
テンション下がるなあ…。
やっぱり帰ろうかな?
眠いし…。

旧青梅街道を歩いてみたが、それらしい雰囲気を醸し出すお店は見つけることが出来なかった。
あ…。
トイレに行きたくなってきた…。


駅前に公衆便所があったのを思い出し、急いで戻る。

トイレでふんばっていると、あっという間に待ち合わせ時間が迫る。
「やべ〜〜〜!
こんなことなら、最初からトイレに行っときゃ良かったよ」

トイレットペーパーをガラガラ回して、駅前へ急ぐと…。

多摩moguさん、moguさん、reiさん、chiyomiさん、れれさんが待っていた。
遅れて参上した僕はち〜と恥ずかしい!
僕はトイレで踏ん張っていたとは言えずに、そそくさと車に乗り込んだ。

つづく…。

2006年6月12日 月曜日 曇り
徹夜明けで眠いよ〜。
なんか、ゲームやってたら、日付変わってるし…。
こんな生活ばかりじゃいかんよ。
腹減った〜。
午前1時を過ぎたので寝ます。
(/0 ̄) ふぁ〜ねむい
目覚めるにはこれ! 夕食

2006年6月11日 日曜日 曇り時々雨
夢の中でも山に登ってるし〜。
しかも、忘れ物を取りに戻っている間に、バスに乗り遅れてしまうといういや〜な夢。
( ´ー`)フゥー

洗濯、掃除、風呂をさっさと済ませて、HP作ろうっと。
朝食 夕食はとんこつつけめん
鶏冠山「山名考」
和名倉紀行その3 黄金伝説
田島氏は東京市水道局に在職中、水源林の恩人として地元民から慕われていた。
その関係で謎の秘宝を見ることができた。
一般の研究者ではこうした機会は得られなかろう。

『私はこの神宝の所在につき、各方面に尋ねて見たが、その所在を知るものがない。
不得已、市の中川技師を累ししばしば高橋の有志諸君に接衝を試みた処、ようやく昭和八年九月私が落合の水源林事務所に御厄介になった際に、高橋の雨宮久作氏が、わざわざ私の為に件の神宝を身につけて…(中略)。

右拝観の結果を述べると、国志が土屋左近模する所として記載された図面も多少の相違がある。
まず裏面の年月日は同じだが。丁丑が横に並べてある。
一枚の梵字のある方は、梵字は同じであるが、実物の方が少し上下に長くなっている。
下の図面みたようなものはほとんど荷物か解らぬようであるが、実物は蓮華の華が一個刻してある。
此方円径五寸。
今一個の鶏冠山の文字ある方は、字はほとんど同一の書体で、只上部の蓮華見たようなものが、実物は立派な蓮華で只此方は逆さ蓮華となり、花形も梵字の方よりも不完全に出来ている。
此方円径五寸五分。
材質は元より黄金ではなく、黄金色をした黄銅で鍍金のように見られ、重さも雨宮氏が衣服の下に着けて来られた位で軽いものである。
文字及び画の手法、彫刻の手際、何れも極めて粗雑で且つ古色の具合からしても天正時代のものと見るのはどうか。
多分近世に至って模造したものと断定するのが正常ではあるまいか…(後略)。』

神具に造られる物は模造のような粗雑な品がある。
黄金の鏡を文字通り金製と受け取るのは無理なのではなかろうか。

大菩薩連嶺 岩科 小一郎著 朋文堂 P66 黄金の鏡より。

田島氏は、拝観した鏡はニセモノであると断定。
岩科氏は、本物であるとフォローしている。

坑夫たちの血にも等しい黄金を、山頂の小祠に奉納するのは考えにくい。
金メッキで造ったもので誤魔化したのかもしれない。
鶏冠権現は、本物の黄金では無いことを見抜いていたので、坑夫たちの願いを叶えなかったのだろう。

しかし、僕は鶏冠山のどこかに黄金の鏡があることを信じたい。
そのほうが、ロマンがあって楽しいじゃないか!
次に、鶏冠山に登る時は、黄金の鏡を探してみようと思う。
つづく…。

2006年6月10日 土曜日 晴れのち曇り
今朝の8時から友達が来て、一緒に遊びました。
楽しい時間はすぐに過ぎていきます。
あっという間に18時です。

朝食はソバ、昼食はスナック菓子、夕食はもやし炒めを食べました。
そろそろ0時なんで寝ます。

2006年6月9日 金曜日 雨のち曇り
え〜?
明日は晴れの予報?
山に行きたくなってきたけど、明日は友達と遊ぶ予定を入れてしまったよ。
なんか悔しいなあ。
買い物 夕食
鶏冠山「山名考」
和名倉紀行その2 黄金伝説
1,710m。大菩薩連嶺最北端のピーク。
北面の谷には武田信玄により発掘され、その軍資金にもなった甲州金48万両の大半が産出された黒川金山があったが、大正初期に廃坑となった。
東の丹波山村よりみると、山頂が鶏のトサカのようであるため、この名が付けられた。
山頂は桶岩という岩峰よりなり、その上に、黄金の鏡が安置されていたと伝えられる鶏冠神社(黒川権現)の小祠がある。
付近は東京都の水源林である。

コンサイス日本山名辞典 三省堂 P186より。

黒川山の主峰は三角点所在峰であるが、黒川を代表する名山は、鶏冠山(トサカ山、ケイカン山ともいう)である。黒川が丹波川に落込むあたりから見ると、山頂が鶏のトサカのごとく見えるのでこの名がある。
鶏冠山の山頂は桶岩という岩峰となり、その上に鶏冠神社、あるいは黒川権現と呼ぶ小祠が祀られている。

中略

伝説によると、武田信玄が黄金の金鶏を製して山頂に納め、黒川金山の守神とあがめたのだという。
一説には、それは信玄ではなく黒川衆だったとも聞く−。

中略

黒川の山頂にある小祠は鶏冠神社の奥宮である。
里宮は一ノ瀬高橋字三角、高橋部落の中央、犬切峠への登り口の左にある。
表向きの祭神は金山彦命、大山祇命だが、里老は鶏(ニワトリ)大権現が御神体という。

後略

大菩薩連嶺 岩科 小一郎著 朋文堂 P63 鶏冠神社より。

「甲斐国志」(P82)は図を添えて

黒川山ノ内鶏冠神社ニ所蔵、黄金ノ鏡ト伝モノ二枚、但シ照鏡ニハ非ス鏡ノ形造ル者也、背ニ天正五年丁丑八月念四日ノ字ヲ刻ムト、於曽村神主土屋左近模スル所也。
ソノ地幽遠ニシテ未タ能ク仔細ヲ視ス 故ニ円径及目方ヲ脱ス凡ソ一尺有余ト云。



これは実に大変なしろものである。時価にして何千万円かの貴重品が、山中の小社に収蔵安置されていたとは。
だが、この黄金の鏡は目下所在不明であって、里老の語るには現存するともいうが、どこにあるか明かでない。

信玄公時代のことである。
黒川金山の大坑(だいまぶ)(坑道)に漏水が始まり、刻々と大小の坑内に侵入し、採鉱作業に大きく障害を起した事件があった。

黒川衆は急拠会合して対策を練ったが、恐ろしいいきおいで増してくる水には手の施しようもなかった。
この上は権現様におすがりするより手はないと、祈願の捧げ者として、お手のものの黄金で一面の鏡を作り上げた。
それは蓮華座を上に描き、紐穴を下方に付けた、いわば普通の鏡の場合とは逆の様式に仕立て、もし水を止めて下されば正しい型にして差上げます、と願って奉ったのであった。
だが、鶏冠権現様の威光が衰えていたものか、漏水はどうしても引かず、それがために黒川金山は廃坑への途をたどるに至ったとか。
この時の黄金の鏡が前記のものであるかはわからぬが、鏡の由来として、私はそんな話を聞いたのである。

大菩薩連嶺 岩科 小一郎著 朋文堂 P64 黄金の鏡より。



田島勝太郎氏著の「奥多摩」に黄金の鏡拝観記があるそうです。
田島氏は、黄金の鏡を見ることができたのでしょうか?
鶏冠山のどこかに黄金の鏡が隠されている?
男のロマンだ〜!
胸が躍る〜。
一獲千金じゃ!

つづく…。

黒川金山の詳細はこちらへ⇒黒川山2・鶏冠山2

2006年6月8日 木曜日 曇り
シンドラーのリフト
朝から晩までシンドラー社のエレベーターのことばかりラジオは伝えています。
日本だけでなく、世界中で故障によるトラブルが発生しているらしい。
タイトルは、不朽の名作、シンドラーのリストをもじってリフトとしましたが、イギリス英語で、エレベーターはリフトなんだそうです。

僕の大好きな女優が主演のバイオハザードという映画に今回の事故と同じような内容が出てきます。

ハイブという地下研究施設に何者かが、ウイルスを撒き散らし、空気汚染を感知したコンピューターが外界との連絡を遮断し、研究者たちを閉じ込めてしまったのです。
それは、研究や事故による空気汚染を広めないプログラムがコンピューターにインプットされていて、コンピューターはそれを実行していただけなのです。
しかし、このコンピューターは人工頭脳をを持っていて、逃げ出そうとする汚染された人間たちを毒ガスなどで殺害していきます。

止まったエレベーターから無理やり出ようとした汚染された人間を感知したコンピューターは、エレベーターを作動させて、今回の事故のようにしてしまうのです。

( ´ー`)フゥー

何もかも機械任せにしてきた、ツケが出てきているのかも知れません。
暴走した制御ソフトを持つエレベーターは、殺人マシーンです。

カゴと扉に人間がいたら、センサーが作動して停止するなどの安全装置も必要でしょう。

六本木ヒルズの回転扉の事故から、何も学ぶことは無かったのでしょうか?
製造メーカーや構造が違うという理由では、あまりにも無様です。

何げないところに危険は潜んでいるのですね。
自分の身は自分で守る…。
安全な暮らしが錆びついてきています。
夕食
黒川山・鶏冠山「山名考」
和名倉紀行その1
柳沢峠から東に張り出した尾根の最高ピーク北面をかつては「黒川山」と呼び、その中の顕著な岩峰を鶏冠山と呼んだ。
また「とさか山」とも呼ぶ。

中略

国土地理院の二・五万図は鶏冠山(黒川山)としているが、本来は黒川山、鶏冠山は別。
山名に混乱があり、今は併せて「黒川鶏冠山」と呼ばれることが多い。

中略

山梨県が選定した「山梨百名山」は、黒川山・鶏冠山としている。

新日本山岳誌 日本山岳会編著 ナカニシヤ出版 P700より。

黒川という地名は、文献によると「遠く大同年間(806-9)にその基を発し」とあるが、往昔のことはさておき、中世の黒川の消長を尋ねてみるに、黒川金山のもっとも盛んであったのは武田時代、天正年間においては今の一ノ瀬・高橋・落合などの多摩川水源地の、東山梨分をすべてひっくるめて黒川と呼んでいたらしい。
これはいうまでもなく、黒川金山が為政者(イセイシャ:政治を行う人、政治家)に重視されていた結果であった。
それが天正壬午の乱で武田家が崩壊し、甲斐が徳川の手に移った頃には、黒川にもその影響があって、里称は市之瀬村と改められた。
以後多摩川上流には一ノ瀬と高橋の二部落が残り、黒川は山名として語り継がれるようになった。
こうした来歴を持つ黒川山という地名は、その山域について登山者間にいろいろと説はあるが、いうまでもなくこれは総名、かの小金沢山や深沢山のごとく、その内に峰も谷も峠も合わせて含まれている。
その山域は旧名を尊重するとなれば、いにしえの黒川村と同じ範囲が望ましいが、今日においては大体に、1,710mの三角点峰を中心に、その東・北・西を泉水谷・多摩川(丹波川)・柳沢川に限られ、南は横手峠(ハンノキ坂)より六本木峠に連互して、大菩薩主脈に続く線、以上が黒川山の境界である。

大菩薩連嶺 岩科 小一郎著 朋文堂 P60 黒川俚譚より

黒川山は、三角点峰を高点として、その北面一帯を呼ぶ山名である。
この高点を横手山と記した人もあるが横手山はここではない。
この峰は黒川谷のツマリに当る位置からいっても、黒川最高点の名が妥当である。
東京都水源林事務所の実測図(二万分一図)には、三角点名称を黒川としてある。
頂は小さく双頭に分れた草地の峰で、南に望む大菩薩嶺の金字塔形の山容はすばらしく立派である。

鶏冠山はトサカ山というのが正しいが、現今はもっぱらクロカワ・ケイカン山と呼び、それが正名化してしまった。
山頂は三段の岩峰よりなり、丹波川の峡底から仰ぐと鶏冠(とさか)のごとく見ゆるゆえにこの名がある。
国志(甲斐国志)に、「高サ数千丈、白雲常に覆ヘリ:甲斐国志P377」と記された岩峰は奥御殿といい、岩を神体として鶏冠権現の祠が山頂に鎮座している。
黒茂の大菩薩嶺の肩に富士の秀麗な姿が望まれ、足下に泉水谷の諸沢を見下ろし、秩父の連山は一望に見渡せる。

中略

カネバ沢に沿い黒川の西裏に登ってくる峠道は棒ノ木坂という。
その頂点が横手峠である。
ヨコテの地名は大菩薩峠付近にも二、三あるが、この地方で山腹を横に伝う道を横手という。
ここでは松尾根から黒川山の下あたりに掛けてを横手山と称し、そこに通う道であるから横手峠という由を聞いた。

大菩薩連嶺 岩科 小一郎著 朋文堂 P219より


2006年6月7日 水曜日 晴れ
暇だ暇だと思っていたら、ドカっと来ちゃいましたよ。

仕事が…。

5月分の伝票整理がまだ半分しか終わってないのに〜。

仕事が来る時って、雪崩を打ったようにやってくるんだよ。
全部で3社から仕事が入りました。
1日で3社以上の仕事が入るのって珍しいんだよね。

ああ、事務がやりたいのに…。
忙しくなるぞ〜 夕食
朝顔
ヒルガオ科の一年草。
つる草。
夏の朝、じょうご形の花を開き、昼前にしぼむ。

小一の時、理科の植物観察ってこれだったよなあ。
茶色い小さな種を鉢に埋めて、双葉が出て、本葉が出て…。
だから何?
って感じだったけど。


昭和40年代後半。
僕の家のトイレには?

あったんですよ朝顔が…。



って植物じゃないんです。

男子用小便所の、じょうご形の陶器。
って辞書にもしっかりと書いてあります。

最近はじょうご形って見られなくなったけど、当時は和式便器と朝顔の二つの便器がトイレにありました。
僕が6歳頃だったかな?
洋式便器に変わったのは。
なんだか便器の数が減って寂しかったのを覚えています。

男性諸君!
あれって狙いにくいと思いません?

僕の場合なぜか左へ…。
っとと。
食事中の方はごめんなさい。

何度か床や便器を汚してしまったもんです。

そのうち、我が家では、「男子も座ってやれ」

ということになりまして…。
以来、洋式便器は女子と同じように座ってやることになりました。

そして現在独り暮らしなわけですが、トイレ掃除は自分でやらにゃあならん。
少しでも、掃除の労力が少なくなるように、座ってやっておりやす。

だから立ち小便は、パブリックスペースぐらいなもんなんです。

もちろんダチの家でも…。



座りです。



山で雄大な景色を見ながらの立ち小便は?







(≧∇≦)








カ・イ・カ・ン!





男であることを確認し、男に生まれて良かったなあと思う瞬間であります。


洋式便器で「座り小」をしている、男性はなんと5割だそうですよ。
奥さんにトイレが汚れるからと叱られてシブシブ座っている人がほとんどらしい?
独身のオイラにゃあ、その気持ちがわからんけど…。
きっと父親の威厳なんて無くなってるんだろうなあ。

小はやっぱり立ってやるのが男ってもんでしょう?
男性が女性化する現象の一つの理由がこれでしょうね。

そんなオイラも小さい頃から座りでやってきたから、あんまし男らしく無い…。
西洋化の悪影響がこんなとこにも出てるんだよねえ…。

ってそれはちと大袈裟?


それでも男が、弱くなっているのは確か。
サムライ日本が復活する日は遠いかもしれない。

ドイツに遠征しているジーコジャパンには堂々と立小便をしてもらいたい!
と思うのであります。
それでこそ日本の男じゃ!

2006年6月6日 火曜日 晴れ
6月に入ってから、急に仕事が暇になりました。
忙しい時は、5,6社から仕事の以来が入るのですが、入らない時は、示し合わせたようにまったく入らないのです。
村上ファンドの影響なのかなあ?
株価が下がると仕事が減るんですよね。

でも、おかげで、大好きな事務を思う存分できるのがいいね。
今日は4月分の伝票整理を終えました。
やれる時にやっとかないと、忙しくなったら事務はまったくできないからね。
今日こそゲームなんかやらないで、早めに寝ます。
買い物

2006年6月5日 月曜日 晴れ
うお〜〜!
筋肉痛だ!

ってことは昨日の登山はけっこうハードだったっちゅうことやね。

筋肉痛になると、たくさん運動したって気分になって少し嬉しい。
そこらへんはやっぱりMなんだよなあ。
筋肉痛にならないと、山に行った気分がしないんだよ〜。
夕食

2006年6月4日 日曜日 晴れのち曇り
日の出は4時半でちょっと早め。
牛王院平に着いた時は、すでに太陽が出ていました。

和名倉山に登頂して、帰りました。
一緒に歩いてくれたみなさんありがとうございました。
短くまとめすぎ?

昨夜は、将監小屋に泊まったのだけど、熟睡できなかったので、バテぎみなんです。
今夜は、この辺で寝ますよ〜。

テント⇒小屋
重い⇒軽い
雨⇒晴れ
苦しい⇒楽しい

今回の山行は、GWの時と比べると正反対でした。
苦しい登山は年に一度でじゅうぶんですよ。

山登りはやっぱり楽しくないとね。
日の出 青梅駅 夕食
今日のハカリ君
体重:56.20kg、体脂肪率:14.4%、内臓脂肪:5、体内年齢:20才、
基礎代謝:1325kcal、筋肉量:45.6kgスコア0、骨量:2.5kg

運動したのになぜか太っているし…。
なんか食いすぎたような。

2006年6月2日 金曜日 晴れ
5日ぶりに炊飯ジャーを開けたら?

ギャ〜〜〜〜!

カビだ〜!

もうこんな季節なんだね。
きっちり洗ってから炊きました。

明日は久しぶりの山なんで、まだ21時だけど寝ます。
買い物 アオカビ発生 夕食

2006年6月1日 木曜日 晴れ
もう6月ですか?
衣替えですよ。
さすがに暑くて、明日からは半袖で通勤します。
買い物
袈裟丸紀行その21
小ピークの手前から、左へトレースが下っている。
えらく急な下りなので、小ピークを越えることを試みるが、急すぎて登れない。
覚悟を決めて、残雪の急坂を下ることにする。
滑ったらどこまで落ちるかわからないという恐怖心でいっぱいになってしまった。
残雪脇から生えている笹につかまりながら下る。

残雪がなくなると、左の尾根へ引き込まれ、ヤブが増えて道を間違えたことに気が付く。
尾根に登り返すと、トレースを発見できることができた。
歩きやすい場所を探すのに気を取られていたようだ。

広い尾根なので、どこを歩いたらいいのか分からないのだ。
100mくらいの幅はあるだろうか、トレースを探しにウロウロするだけでも骨が折れる。

平坦になると、腰ほどの高さの笹ヤブこぎとなる。
これだけ背丈の高い笹は、今回初めてではないだろうか。
標高が低いと、笹の成長も良いのかもしれない。
踏み跡を見失い、まったくの笹ヤブこぎとなりぼやいた。
「え〜〜!エアリアにも載ってる道なのになんでヤブがあるの?」

樹林に囲まれた小高い丘の上に六林班峠を指す指導標があった。
ここが女山だろうか?
三角点が雪に埋もれていて分からない。

なんだか、鋸山から急に指導標の数が減った気がする。
後で分かったことだが、皇海山から南は群馬県の管轄になるからだそうだ。
皇海山から北は栃木県らしい。
群馬県の方針としては、笹も刈らずに、できるだけ自然のままの姿を残しておくのか?
それとも、ただ単に登山道を整備する費用が無いだけなのだろうか?

少し下ると、再び笹ヤブとなり、踏み跡は消える。
右へ道を探しているうちに、胸の高さの深い笹ヤブの中に入ってしまう。
「こりゃたまらん!」

ザックを置いて、左手へ道を探すと、細道を発見することができた。
ザックを回収し、少し進むと古い指導標が木に打ち付けてあった。
しかし、経年劣化で文字は判読不能だった。
ここが六林班峠かと思ったが、もう少し歩いてみると、Aさんの待つ六林班峠へ出た。

「袈裟丸方面はトレースがないねえ」
とAさん。
「まあ、後でゆっくり散歩しながら探してみますよ」
と答えたが、心の中は不安でいっぱいになった。
Aさんはやっぱり庚申山荘へ帰るとのことで、僕も一緒に付いて行きたくなってしまう。
「ダメダよそんなの…今までの苦労が水の泡じゃん」

ここで、縦走を中止したら、必ず後悔するのが分かっていたので、僕はすぐにテントの張れる場所を探し始める。
テントを張ってしまえば、縦走するしか選択肢が無いからである。

いつの間にか空は雲っていて、僅かな平地を探してそこにテントを設営する。
その間にAさんは、重い腰を動かしながら、別れを告げて庚申山荘へ下って行った。

設営を終えると、水場探しに取り掛かる。
庚申山荘方面へ下り、小尾根を越えた先の沢で水を得ることができた。
これで、明日も歩く準備が整う。

六林班峠へ戻ると、不動沢ノコル付近ですれ違った男性がいて、しばらく話をした。
なんだか無性に人恋しいのである。
彼も庚申山荘へと下って行ってしまった。

その後、やはり途中ですれ違った、軽装の人がやってきて質問をされる。
「袈裟丸まで行くのですか?」
「はい、これから下見をするつもりです」
と答えて、僕はサブザックに水筒と地図を入れて、下見開始。
笹ヤブを左から避けて、残雪を踏んで右へ回り込むとトレースを発見することができた。
「やっぱりなあ。また会えて嬉しいよ」
姉さんたちが残したトレースである。
僕はトレースとすっかり仲良しになっていた。
友達のようにしゃべることもできる。

地図には無い、小ピークの登りは、まったくの笹ヤブの中だ。
胸ほどの高さの笹は、かきわけるだけでも一苦労だ。
今は荷物が少ないが、明日も歩けるか不安になってしまう。
「庚申山荘に下るのは今からでも遅くないよ…」
そんな悪魔の囁きが聞こえてくる。

小ピークを越えても、笹ヤブは続いたが霧の中に男山が見えると、笹ヤブを抜けて幕営地に適した広々とした鞍部にでた。
男山までは、残雪の中の登りのようだし、トレースもしっかりしているので、この鞍部で引き返すことにした。

帰りは少しでも歩きやすいルートを探す。
小ピークの西側に歩きやすい道を見つけて安心した。
六林班峠へトレースをはずれずにたどって行くと、古い六林班峠の看板を見つけることができた。

テントの周囲には濃い霧が立ち込めていて、不安になる。
カレーうどんを作って食べ、濡れた靴下を履きかえる。
明日は、冷たい靴下を履くのかと思うと憂鬱になった。

すっきりしない気分のままシュラフに潜り込むと、なかなか寝付けなかった。
まだ明るいせいもあったが、今ままで様々ことを体験したことを思い出したり、いよいよ明日が最終日で、帰宅したら焼肉食べようなどと想像していたからだ。

おわり

06年5月の独言日記