誕生編

第五話 保育園

登場人物紹介 首都高速用語解説

前回までのあらすじ…。
1971年7月2日に生まれた僕。物心ついた時、祖父の会社の2階に住んでいました。

誕生編とは…?
生まれてから卒園するまでのお話しです。

僕の叔父の息子。つまり僕の従兄弟のヨシ君は僕と年が同じだった。
さらに僕の弟とヨシ君の弟も年が同じ。
同い年の年子の兄弟が僕の知ってる範囲で2組もいることになる。
これが第二次ベビーブームと言われる世代だ。
のちの世で「21世紀の子供たち」などと呼ばれた。
そんなに期待されてもこちらは困る。

歩ける範囲の地図がほぼ完成した頃、僕は自宅の1階にある工場である大発見をする。
それは、僕が書いたのとほぼ同じ地図が壁に張られていたのだ。
僕はそれを部屋に持ち帰り、スケッチブックに模写し始めた。
そのうち、バカらしくなり、地図作りはやめてしまった。
こんな立派な地図があるなら、自分で作らなくてもいいや…。
今までの苦労はなんだったのだろう?

ある日1階の工場に行くと、母も働いていた。
「今日から働くことになったから、お兄ちゃんは保育園へ行くのよ」
と母は言った。
そんな母はどこか憮然とした表情で、いやいや仕事をしているようだった。
おそらく、父の兄の正弘がその妻を働かせたため、僕の父もそれを見習ったのだと思う。
翌日、僕は母の自転車の後ろに乗せられ、自宅から数分の保育園へ向かう。
門をくぐり、角を曲がると下駄箱がありそこに保育士の女性が立っていた。
母は「よろしくお願いします」と頭を下げた。
きりんの絵が書かれた部屋には、何人かの子供がいて、その中に従兄弟のヨシ君もいた。
両親も叔父夫婦と対抗意識があったのだろう。
僕はいい迷惑だ。
なにもかも叔父夫婦のマネをしなくてもいいのに…。
午前中外で遊んだ後、給食。
「い〜た〜だ〜き〜ます!」とみんなで口を揃えて食べ始める。
13時からは昼寝の時間で3歳児から年長までが大ホールに集められ布団に横になっていく。
僕は家から母が持ってきたタオルケットをかけて横になる。
昼寝なんてやったことが無いので、眠れない。
目を見開いて、起きていると「目を閉じて寝なさい」と先生に怒られる。
僕はしかたなく目を閉じる。
するといつの間にか眠っている。
3時になると強制的に起こされた。
寝たり起きたりほんとにめんどくさい。
どうせ3時に起きるのだったら最初から起きていればいいじゃん。
そんな矛盾を感じていたので、元々保育園が嫌いだったが、中でも昼寝の時間が一番嫌いだった。イライラして、タオルケットの毛を歯で毟り取る癖がついてしまった。
タオルケットのケバケバは1本の細い糸が集まってできている。
それを器用に歯で挟み、タオルケットを顔から遠ざけると1本の糸が口にぶら下がった。
だから枕元には大抵4、5本の抜いた糸が散乱していた。
白い糸だったので、シーツと同じ色だから先生は気がつかなかったようである。
4、5本抜くと落ち着いて眠ることができた。
でも時々はそれでも眠ることができなかった。
高くて白い天井を見上げていると、また先生に怒られた。
「早く寝なさい」って…。
僕は「や〜だ〜」と言って先生を困らせた。
今思えばこれが第一次反抗期だったのだろう。
周りのみんなは催眠術にでもかけられたようにスヤスヤと眠っている。
どうして僕だけが眠れないのだろう?
昼寝担当の先生が太っていて、気に入らなかったのも事実。
どうせ怒られるなら、色白できれいな先生がいいなあと思った。
とにかく、お昼寝の時間が一番嫌いだった。

3時になると、おやつの時間で歌を唄ってからバナナなどのフルーツを食べた。
その後は、室内のブロックや積み木で遊んだりした。
4時を過ぎると、親たちが迎えに来て、先生が「○○ちゃん」と呼ぶとさっきまで遊んでいた友達は今までのことを忘れたように、下駄箱へ走って行く。
5時半には僕の母が迎えにやってきたが、まだ迎えに来ない友達が数人いた。
ここに最後まで残っていると何があるのだろう?
そう思うと僕はことの真相を確かめたくなり、帰りたくなくなった。
そしてだんだん迎えに来る親が疎ましくなっていった。
「なんでこんな早くにうちの親は迎えにくるんだ?もっと遅くていいよ」
でも僕は寂しそうな顔をする友達を捨てるように家に帰るしかなかった。
僕の通った保育園 第三話の迷子になった時の絵
右のはたぶん踏切
1971年7月の出来事(僕の生まれた年)
7.1
環境庁設置

7.1
佐藤栄作首相、朴正煕韓国大統領就任式参列のため訪韓、会談。
ソウル地下鉄建設協力を約束。

7.4
東亜国内航空YS-11「ばんだい」が函館山中に墜落。
乗員・乗客68人全員が死亡。

7.9
キッシンジャー米大統領補佐官が秘密裏に訪中。

7.17
東京女子医大助手の今井通子がグランド・ジョラス北壁の登頂に成功。
マッターホルン、アイガー北壁と合わせ女性初の欧州3大北壁の征服達成。

7.30
自衛隊ジェット機が盛岡上空で全日空機に追突。
162人死亡(雫石事故)。
1971年この一年
1971年、昭和46年。
公害行政を一元化するため、7月に環境庁が設置された。
8月15日、ニクソン米大統領が金ドル交換の一時停止・10%の輸入課徴金などを含むドル防衛策を発表したため、東京市場では株価が暴落、ドル売りが殺到して「ニクソン・ショック」と呼ばれた。10カ国蔵相会議で金1オンス=38ドル、1ドル=308円と決まり、スミソニアン体制がスタート。
成田空港の建設が本格化したが、農民らの抵抗が続いた。
米中接近が進み、中国が国連に復帰。

『出典:別冊朝日年鑑 早わかり20世紀年表 朝日新聞社』

次回予告
プラレールというトミー製の電車のおもちゃを父に買ってもらいました。
第六話 プラレール