誕生編
| 第三話 | 初めての迷子 |
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| 登場人物紹介 | 首都高速用語解説 |
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| 前回までのあらすじ…。 1971年7月2日に生まれた僕。物心ついた時、祖父の会社の2階に住んでいました。 誕生編とは…? 生まれてから卒園するまでのお話しです。 |
| 祖父の正雄には4人の息子と1人の娘がいる。 まず最初に生まれたのが、長女の弘子で、その時日本はまだアメリカと戦争をしていた。 生めよ増やせよという国の政策のもとで長男の正弘、次男の弘が生まれますがこの頃には終戦を迎えていて、それはそれは貧しい生活を強いられていた。 父は三男で、食事の時など必ず兄弟喧嘩になり、先を争っておかずの奪い合いをしたそうだ。 だいぶ後になって四郎と五郎の双子が生まれたが、戦後の食糧難の中、四郎は栄養失調で天国へ行ってしまい。五郎だけが残った。二人とも同じように育てていたのに、五郎だけがなぜ生き残ったのかは今でも不明なのだそうだ。 今では珍しいが当時は5人や6人の兄弟が普通で、この時生まれた人たちのことを「第一次ベビーブーム」だとか、「団塊の世代」とのちの世で言われるようになる。 祖父は名前の付け方からも分かるように戦国ファンだった。 つう字と呼ばれ、嫡男に受け継がれた文字は「正」。 それに長女に付けた弘を付けて正弘となった訳だ。 だから我が家では三百年以上たっても名前の付け方はあまり変わっていなかった。 ところで、父が山好きになったのは次男の弘の影響らしい。 (父の名前は「山と渓谷社 山渓カラー名鑑 日本の山1000」の武尊山と皇海山の撮影者として載っているので興味のある方は調べてみてくださいね) そのせいで僕には趣味の名前が付いてしまうのだ。 僕の名前は父から一時もらい「和」。 それと山好きな父の趣味から「峰」という字が付けられた。 初めて会った人は、僕の名前を知り、父親が山好きであることを知った。 父はそれを得意げに自慢していたようである。 だから、父が自己紹介するときはまず僕の名前を出すのである。 父:「息子の名前は昭和のワに巨峰のホウで和峰といいます」 初めて会った人:「ほ〜それではさぞかし山がお好きなのでしょうな…」 父:「ええ、まあ北アルプスや南アルプスに何度も登っていて…」 こんな具合に父は僕をダシに使って、山の話を長々とするのだった。 山に興味の無い人が聞けば迷惑千万な話しである。 祖父は上の3人の息子達と一緒に仕事をしていた。 3人は仲が良く、休憩時間になると近くの空き地でキャッチボールをしたりしていた。 少し成長した僕は、家から歩いて2分ほどの空き地で遊ぶことを許されるようになった。 大きな石をひっくり返せば、ハサミムシやダンゴムシがそそくさと逃げ出すのでそれをつかまえて遊んだ。 時には、アリの巣があり、羽の付いたのや、白い幼虫やらがいて、ワサワサと動いているのを見ていると飽きることがなかった。 時間を忘れて遊んでいると、その3人がいつの間にかキャッチボールを始めるのだ。 ほんとに楽しそう。それで、お昼になったことが分かり家に戻った。 しばらくはそんな毎日を楽しんだ。 しかし、この空き地はしばらくして、立入禁止になった。 土を入れ替えられ、塩化カルシウムと海砂を混ぜたもので埋め尽くされ、淑徳大学のグラウンドとなってしまったのである。 僕の背丈ほどあるコンクリート壁と空にまで突き抜けそうに高い緑のフェンスに囲まれ、空き地だった僕の遊び場は、不毛の大地となってしまった。 コンクリート壁には15センチほどの隙間があったので、子どもの僕には楽々と入れそう。 頭が引っかかったが、鉄筋を無理やり押し広げて、なんとか侵入に成功した。 そこには真っ白で無機質な砂地が広がっていた。 そこは平で広く、だまって存在していた。 僕はとりあえず、ぐるっと1周走ってみた。 かつての虫たちがいないか地面をほじくってみる。 僕が遊んだ空き地はもう死んでいた。 なんだか急に恐ろしくなり、逃げるように家に帰った。 翌日、僕は新天地を求めて、冒険を開始した。 今まで歩いたことの無い世界はワクワクした。 駄菓子屋さんには、マーブルチョコが置いてあり、きれいでうまそうだった。 いかにも子どもの目を引く色使いだった。 かず:「これほしい」 お店の人:「お父さんとお母さんは?」 かず:「これほしい」 お店の人:「やれやれしょうがないね。あげるから迷子になるんじゃないよ」 僕はお金のことなんかまだ分からなかった。 置いて有るものは、「ほしい」の一言でもらえるもだと思っていた。 僕はチョコを食べながら冒険を続ける。 カンカンカン…。 ガタンゴトン、ガタンゴトン…。 東武東上線のクリーム色の電車がもの凄い轟音で走り抜けていく。 知らない人:「ぼうや、どこから来たの?」 かず:「あっち」 僕はなぜ知らない人達が次々に声をかけてくるのか分からなかった。 中にはお菓子の「ビスコ」をくれたおばさんもいた。 母には、「知らない人から物をもらっちゃいけません」ときつく言われていたが、断るのもかわいそうなのでもらってあげることにした。 それはなんとも、子どもっぽい理屈だった。 そのうち出張所で保護され、警察を呼ばれた。 あたりはすでに暗くなっており、僕は急に怖くなった。 気がつくと、僕はパトカーの中でワンワン泣いていた。 自宅の前に着くと両親が、心配そうに待っていた。 弟は「いいなあ、パトカーに乗れて」と羨ましそう。 両親はお巡りさんに一生懸命謝っていた。 どうやら僕は迷子になっていたらしい。 ![]() (今はグラウンドだった場所に大学の立派な校舎が建っています) |
| 次回予告 二度と迷子にならないように、地図を作ることにしました。 |
| 第四話 | 地図作り |
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