韓国旅行記
2004/04/30(Fri) (その2)
軍事停戦委員会会議室から退出した後は、HMMWV(民間仕様ではHUMMER)にエスコートされ第五哺所に向かいます。
| 第五哺所はちょっとした高台にあるので、眺めは良いです。ここからは、帰らざる橋(赤円囲み)と第四哺所(黒円囲み)を見下ろすことができます。この帰らざる橋は、映画JSAのモデルとなったところです。当然撮影は全然別の場所で行った訳ですが。また、ここから第四哺所をみると、葉っぱの茂る時期はちょうどポプラの木が邪魔をして見えなくなるそうで(写真中水色円がポプラの木があったところ。現在は記念碑)、ここからポプラの木事件に話は繋がっていくわけです。第四哺所は、今は危険なので、警備していないそうです。これで判ると思いますが、この第五哺所は、帰らざる橋の監視と第四哺所のバックアップも兼ねているんですね。
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第五哺所からは休戦協定に署名した旧板門店(黄円囲み)も見ることができます。この中には、休戦協定に署名したテーブルなどが保存されているらしいのですが、完全に北朝鮮側の区域なので、韓国から入ることはできません。北朝鮮からの観光コースには組み込まれているそうです。
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ここでは、HMMWVに乗って警備してくれた兵士との記念写真も撮ることができます。結構みんな撮っていました。このJSA警備に付くにはかなり選抜されるそうで、必要とされる条件は、当然英語は堪能(国連指揮下なので)、身長175cm以上、容姿端麗??などなど・・・。彼らは日本語もできるようです。英語などの語学力が要求されるので、4年制大学の卒業生が配属されることが多いそうです。要するに、エリートですね。警備兵がサングラスをしているのは、別に眩しい訳ではなく、視線によって北朝鮮兵とトラブルになることを避けるため、視線が判らないようするにかけているそうです。(我々観光客のバスに同乗するエスコート兵士は、サングラスはかけていません。) |
| 数分第五哺所で過ごした後は、再びバスに乗り移動です。
第五哺所から下って行くと、ポプラの木事件の記念碑の前を通ります。下の丸いコンクリートの大きさがポプラの木の大きさを表しているそうです。ちなみに、「ポプラの木事件」とは、1976年8月18日、監視の邪魔になるポプラの木の枝払いをしていた国連軍兵士(米兵)が北朝鮮兵士に襲われ、米軍兵士2名が殺害された事件のこと。これ以降、JSAにも南北の境界線ができ(これ以前は無かった)、自由な行き来ができなくなりました。JSAに入る前の国連軍駐屯基地のキャンプ・ボニファスって、多分この事件の犠牲者のボニファス大尉を偲んだ名前と思われます。詳しくはGoogleなどで検索してみてください。
そしてこれが帰らざる橋。朝鮮戦争の休戦協定締結後、捕虜がこの橋を渡っていった橋。橋を渡る渡らないの選択(要するに、北朝鮮側に行くか、韓国側に行くか)は各個人の自由意志にされていたのですが、一度橋を渡るとその意思決定を変えることはできなかったことから帰らざる橋と名づけられています。 |
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帰らざる橋のあとは、キャンプ・ボニファスに戻り昼食です。エスコート兵士も同じ物を食べていたので、まぁ、軍用の標準的な食事と言うことでしょうか。バフェなので、食い放題!です。
ビジターセンターの下にあった、北朝鮮が掘ったトンネルのレプリカ。正確には移設物というべきかもしれませんが。トンネルツアーと言うのもあります。板門店ツアーの方が人気があるそうですが。 |
この後は、途中で国連軍バスから民間バスに乗り換え、ソウルに戻るだけ。来るときはアレほど饒舌だったガイドが、かなり無口になっていたのは気のせい? でもねぇ、日本に居ると、こう言う厳しい国際情勢の現場は目の当たりにすることはできないので、いい経験でした。往路でのガイドの説明は必聴です! 眠いからと言って、寝てはいけません! 日本人には痛いこともいいますが、日本人が目を背けてきた現実が聞けます。まぁ、単なる観光気分で来ている人たちがほとんどですけどね。
Last Update: 2004/05/03
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